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2014.08.01up

岡潔講演録(11)


「自然科学は間違っている」(4)

【7】 人類の自滅

 先述したように、素粒子は刹那消滅だと云うことは一般思想になるぐらい知れ渡っている。それにも拘らず自然は刹那消滅だと云うことが分からない。これは理性の上位に五感を置いているからである。理性、理性と云うだけで使いはしない。使っているのは五感だけである。

 国際紛争の解決の仕方も理性を使いはしない。いちばん初めに現状はどうかを調べる。現状がどうかを見てから云うのであれば、正しいか正しくないかを見ているのではない。すなわち、五感を理性の上に置いている。その上に更に自分を理性の上に置いている。そして、そうしたら損だとか得だとか主張する。そこで利害が衝突すれば戦争をするに決っている。これじゃあ人類は自滅する。核兵器にしても、先制攻撃をかけた方が圧倒的に有利だと云っている。こんなのは危なくて仕方がない。

 それだけではない。人類は思い切って自然の調和を壊している。例えば、工場の煙突にはイオウが混じっているが、以前はイオウを売ることが出来たのでそれを回収した。しかし今はあまりイオウが出るので煤煙(ばいえん)から回収しても何の価値もない。それで出しっ放しにしている。

 更に害虫の駆除のために農薬を使う。すると害虫以外のもの、例えばビールスなども殺してしまう。それでビールスは死滅する。そうすると今度もう1度壊したものを元に戻せるかと云うと決して戻せないのである。全て自然も調和を大きく壊したら、人には元にかえす力はない。それを平気で壊している。ひょっとするとこちらの方から自滅するかも知れない。

 またこの頃云わなくなったが、かってソビエトは間宮海峡、ベーリング海峡を封鎖して、シベリヤの温度を上げると云った。あれを実行されたら日本なんかどんなことになっていたか分かりはしない。稲など作れなくなってしまう。さすがにそう云うことをするのは空恐ろしいと思って来たらしく最近は云わなくなった。しかしそんなことをされたら大変だと云う日本人はいなかった。

 この頃人の造るものはなかなか腐らない。これがまことに困る。腐らないからいくらでもたまる。自然の造ったものは皆腐っていた。とにかく、大仕掛けにやればどれ1つででも十分人類は自滅する。

(※解説7)

 岡は「人類の滅亡」とはいわない、「自滅」という。タコが自らの足を食べるように、人類はいま自らを滅しているのである。そのメカニズムがわからなければ、その「自滅」を止めることはできないのである。

 その原因は何か。岡はいま世界を覆っている「西洋の世界観」にあると見ている。ではそのキーワードは何か。それは「自他対立」だと私は思う。人と人、人と自然が「自他対立」しているのである。岡はこういっている。「人は人という名の自分、自然は自然という名の自分である」と。誠にうまい表現であるが、岡は人と人、人と自然とは何処かで何かでつながっていると見ているのである。

 この「つながっている」という発想が西洋にはないのである。西洋は第1の心(自我)の世界観が強いため、自分は所詮人や自然から飽くまでも独立した存在だとしか思えないのである。しかし、日本人である哲学者の西田幾多郎は、その「つながっている」という感覚を「絶対矛盾の自己同一」という有名な言葉で表現したのではないだろうか。

 従って、どうしても西洋の人間観は完全な「個人主義」であり、自然観については、自然は人と全く無縁の命を持たないただの「物質」であるという「物質主義」にならざるを得ないのである。

 更に西洋は、第1の心の「自己本位」が根底にあるから、命をもたない「物質」であるならば利用するだけ利用すれば良いのではないかという発想が生まれ、「自然征服」から「自然開発」、そしてそれらを支える「自然科学」が発達したのではないだろうか。

 しかし、どうもおかしいのである。というのは我々日本人の感性には何か違和感を感じるのである。それは何故だろうか。我々日本人には「自他対立」を根拠とする「自然科学」は、自らの足を食べる「タコ」になってしまっているのではないかという疑問が湧くのである。というのは「自然科学」には自然の痛みを感じるセンスが丸でないのである。

 それに対して岡は、日本独特の「情」という言葉を持ってきたのである。岡によると「情」は流体だから、流体である「情」が心の底で人と人、人と自然とをつなげているのである。日本では昔から人と人とが「情」でつながるのを「人情」(今は絆という)といってきたのだし、人と自然とがつながるのを「風情」といってきたのである。

 この「風情」として見る日本の自然観は、西洋のように「自他対立」しないのであって、自然というものをみずみずしい生きた自然と見るのである。老子のいう「生」である。

 従って我々日本人は自然のよろこひがわかる、自然の痛みがわかるという日本独特の「情」の自然観から出発して、今までの自然科学のように自然の法則をただ無機的に調べ利用するのではなく、自然の法則に謙虚に如何にうまく従うかという西洋とは違う全く新しい「自然科学」を立ち上げていくべきではないだろうか。

 西洋は非常にタフで精密な大脳前頭葉(理性)を使うから、得てして我々は西洋に頭が上がらないのであるが、いくら精密な理性を使っても発想の原点がいつまでも未熟な「自他対立」であっては、「人類の自滅」は防ぎようがないのである。日本人の自覚が待たれるところである。

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