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 2013.10.19 up

大野長一(1908〜1996年)

教育者、洋画家


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明治41年10月27日、高知市五台山2877番地、熊吾、竹雄の長男として生まれた。

昭和5(1930)年 高知師範学校専攻科を卒業、各地の小学校教諭を任じ、17年高知県立鏡川学園(教護施設)長となり、以後社会福祉関係の道を歩く。25年高知市社会教育委員、26年保護司、31年高知県立保育専門学校長、同保育所長、39年養護施設愛童園長ほか、県社会福祉協議会評議委員、同養護施設協議会長、県教育者教育研究所長、県福祉事業財団副会長、全国養護施設協議会評議委員、土佐良寛会会長などに任じた。

一方、生徒とともに絵を描くことから洋画、日本画の部門に手を染め、昭和26年第6回県展に初入選以来入選を重ね、中央展創元会にも36年初入選。以来準会員、会員、運営委員、高知県支部長を務めた。

53年来日中の西独シェール大統領に50号「北海道の印象」を贈呈、54年国際児童年記念にチャリティー洋画個展を東京で開催するなど国際親善にも尽くした。

画風は画家・中澤竹太郎から「点描画を描く人がもっといてもいい」という示唆を受けて点描画法を固守し、人柄にも似た温和な世界を描出した。終生、聖徳太子、親鸞、道元、ペスタロッチ、良寛らを尊敬し、知行合一実践を重んじた教育家で、身寄りのない孤児のために慈愛を注ぎ、晩年 〝今良寛〟という世評もあった。

平成8年1月9日没。87歳。著作集『子どもを拝む』がある。(高知県人名辞典より)

岡潔研究会の初代名誉会員。高知県養護福祉の父、そして土佐の良寛といわれ、身寄りの無い子供達の面倒を終生見つづけると共に、その合間には独自の手法で油絵の世界に遊び、晩年には自然のひそやかな息づかいを柔らかい色彩とタッチで自在に描いた。2000点ともいわれる多くの作品を遺した。

私(横山賢二)は、岡潔研究会を設立した1992年に、ふとしたことで大野と出会い、その後、3年半の間カバン持ちとして大野と活動を共にした。その間に渡してあった岡潔の冊子を、大野は精魂を傾けて愛読し、その歿後、愛用のカバンからボロボロに読み込まれた岡潔の冊子「日本の教育への提言」が見つかった。

「大野長一絵の会」は、埋もれている大野の絵を、今日までの荒廃した芸術の世界に対するアンチテーゼとして、大野にかわり再び世に問うものである。