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2014.07.01up

岡潔講演録(11)


「自然科学は間違っている」(4)

【6】 目覚めた人

 第2の心を自分であると自覚している人を目覚めた人と云い、そうでない人を眠っている人と云う。人にはこの2つの状態しかない。

 目覚めた人のことを仏教は仏・大菩薩(ぶつだいぼさつ)と云う。日本では(あま)つ神と云う。中国では聖人と云っている人はたいてい目覚めているようである。また神仙(しんせん)とか仙人(せんにん)とか云っている人たちのうちにも存外目覚めている人は多いようである。

 しかしギリシャにはどう捜しても目覚めている人はいないと思う。欧米にはキリスト教を信じている人のうちには目覚めている人がいると思う。特に中世まではキリストの云うことをそのまま守っていたので、かなり多くの人が目覚めたのではないかと思う。しかし、キリスト教以外ではどんなに捜しても目覚めた人はいないようである。

 目覚めるとどんな風になるかと云うと、花を見れば花が笑みかけていると思い、鳥を聞けば鳥が話しかけていると思い、人が喜んでおれば嬉しく人が悲しんでおれば悲しく、皆んなのために働くことに無上の幸福を感ずる。疑いなんか決して起こらない。

 これを実際よく見るためには赤ん坊を見ればよい。人は生まれてから32ヶ月の間は自我と云うものを持たない。まだ出来てはいない。それで、この時期を童心の季節と云う。童心の季節の赤ん坊を見ればよい。赤ん坊は自覚していないので目覚めてはいないが、住んでいるところは第2の心の世界である。第2の心の世界に住めばどうなるかと云うことは赤ん坊を見ればよいのである。

(※解説6)

 ここでは「目覚めた人」の例がいろいろ挙がっているのだが、それぞれ表現がはなはだ微妙である。そこで私の「心の構造図」を使って、もう少し具体的に説明してみよう。

 「ギリシャにはどう探しても目覚めている人はいない」と岡はいっているから、ギリシャは第7識である。同じ西洋でも『キリスト教を信じている人のうちには目覚めている人がいる』といっているから、その人は第7識を超えて第8識ということになる。

 「中国の聖人はたいてい目覚めている」といっているが、東洋の目覚めた人は第9識と岡はいうのだから、中国の聖人や仏教の仏・大菩薩は第9識ということになる。そうすると、神仙とか仙人は一格落ちるような表現であるから、第8識ということになるだろう。

 更に第9識は東洋の「知」の極致であるが、日本は異質で岡が一格上という「情の世界」であるから第10識。といってもとても全体ではなく、天つ神をはじめとする日本人の4%だといっている。これが岡の「目覚めた人」の内訳であるが、この4%がこれからの世界にとって唯一の「頼みの綱」なのである。

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