okakiyoshi-800i.jpeg
2013.8.26up

横山賢二 新聞記事


【6】宇宙時代に思うこと

高知新聞 1992年(平成4年)10月29日(木曜日)

 

 毛利衞さんの日本人初の宇宙飛行のニュースはわれわれに多くの話題を提供してくれました。本格的な日本の宇宙時代の到来を告げるものとして評価されております。しかし、私にはどうもただ喜んでばかりはいられない、何かおかしいのではないか、そう思われるのです。

 それは人の頭脳と力とが今日の輝かしい宇宙時代を成し遂げたことに違いはないのですが、しからば、この頭脳と力とがありさえすれば、人は何をしてもよいのか、ということです。

 宇宙開発とは、今まで地球上でやってきた開発競争の舞台を、ただ空の上にまで広げただけです。無重力での実験結果を得たり、将来の宇宙旅行の基礎を固めたりすることは、人類の福祉のためと言いますが、実は、宇宙での勢力争いを最終目的とするものではないでしょうか。

 思うに、これは十八世紀の植民地主義そっくりです。「新大陸を奪え」と言わんばかりです。新大陸があればなぜ奪わなきゃならんのか、私には不思議でなりません。我々人類の目的は、知恵と力とにまかせて、他を侵略するのではなく、共存共栄の世界を目指すことにあります。使う技術はいくら高度になっても、やってることは相も変わらず十八世紀そのままです。われわれ日本人は、もうそろそろ西洋かぶれは卒業して、ものを正しくみたらどうでしょうか。

 植民地主義が世界へ広がった当初、船乗りたちは黄金の国を求めて、夢と希望の船出をして行きましたが、今にして思えば、世界の多くの民族の苦しみと自然の荒廃とが、そこから始まったのではなかったでしょうか。

Back Next


横山新聞記事topへ