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2023.08.20up

岡潔講演録(31)


「岡潔先生と語る 」(3)- 西洋の真似はやめよ -

【11】 第二の心をみる(その3)

 (男性)お尋ねしますけれども、人間は第二の心によって働かされているというようなお話だと思いますけれども・・・

 (岡)いえ、西洋の真似をするなという話ですこのまま真似を続けてたら、日本は滅びてしもう、速やかに真似をやめてもらいたいという話です。

 (男性)私がご質問したいのはですね、今日私がここへ参りましたのは、先生のお話が聞きたいという判断力と云いますか、そういうことからここへ足を運んだと思うんですけど・・・

 (岡)ええ、聞きたいと思う、そしてここへ来ると、それは第一の心の働きです。だが第一の心が何故そんなふうに働いたかという点まで考えますと、人は小便したいと思う、そうすると小便が出る、気持ちよいと思う。ちょうど末端、その辺のところだけですね。それまでのところは全く知らない。そして自分が意識していろいろやって人生を送ってるのだと思ってますが、人のやってることは、小便をするぐらいのところだけです。小便を用意するなどということはみな神々がやってくれてる。

 何故僕の話を聞きたいと思ったか。まあ少しぐらい遡れるかもしれませんが、いくら遡ってもそれから源は杳(よう)としてわからない。これは心の中で神々が働き続けてるからである、そんなふうに説明するという説明の仕方が東洋には古来ありますが、よい説明の仕方だと思う。そうやってますと、自分というものが段々消えていく。

 (男性)そう致しますと、私は先生のお話が聞きたいということでここへ参りましたが、今日ここへ来たということと、来なかったということの差というのは、自我と云いますか、自分が判断したのではないと云うことになるんでしょうか。

 (岡)いや、結局最後の仕上げは自我がしたんです。が、自我のした役割りはちょうど筆のようなもので、筆がそういう字を書いたのだけど、手が筆を持って動いたからで、その手のところはわからない。人が自転車に乗っていると、その自転車だけを知っていて、人を知らないのが西洋の知識です。自転車が動くのは人が乗っているからで、自転車にいろんな仕組みがあったところで、それを動かす人がなかったら動きゃしない。

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