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横山賢二 新聞記事


【17】砂漠化するオアシス社会

高知新聞 1996年(平成8年)1月8日(月曜日)

 

 今、社会には競争原理という大前提があって、われわれは日々いや応なしに、それに押し流されている。その結果、至る所から人々の悲鳴が聞こえてくる。この競争原理について一つ思いついたことがある。

 そもそも競争原理とは砂漠で生まれた思想ではないかということである。あの過酷な自然の中で人が生きていくには、少数の強い者が多数の弱い者の犠牲の上に生き残っていくしかないのではないか。それが砂漠の民の厳しいおきてなのである。

 また一方、その砂漠の民のあこがれてやまないものがある。それは緑豊かにして、水はせんせんと流れる楽園、すなわちオアシスである。この水と緑が彼らのあこがれる最上の宝である。

 ところで、その砂漠に向けていた目をこの日本列島に戻してもらいたい。これは寺田寅彦先生の随筆の中の「日本人の自然観」にも詳しく書かれていることであるが、この日本列島には楽園の水も緑もあふれるほど豊かにあるばかりでなく、山と海による複雑多様な地形と春夏秋冬の温暖な気候まで備わっているのである。これをオアシスと呼ばずに何と呼ぼうか。

 そうすると今われわれ日本人は、このオアシスの真っただ中で競争の厳しさに悲鳴を上げ合っていることになる。なぜ、こんな悲喜劇が生ずるのだろうか。

 それはこのオアシスの中に砂漠の思想を持ち込んで、それにしがみついているためではないのか。本来オアシスの中にいるのに、砂漠で生きるまねをするから、そのオアシスの社会も自然も文字通り砂漠化してしまったのではないかと、私は思うのである。

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