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2013.11.30up

岡潔講演録(9)


「自然科学は間違っている」(3)

【2】 空間と物質

 自然科学者はこう思っている。「始めに空間と言うものがある」空間とは何か、全然わからない。しかし、それは問題にしていません。空間とは何かを問題にしないで、始めに空間というものがあるというのは相当な仮定には違いありません。その次がひどい。「その空間の中に物質というものがある」、とこう決めている。物質とは何かと言うと、「途中は少し工夫してもよろしいが、最後は肉体に備わった五感でわかるものが物質である」、こう決めてるんです。ではいかに工夫しても肉体に備わった五感でわかって来ない様なものはどう言っているか。「そんなものはない」と決めているのです。

 これはほとんど原始人に近い幼稚な仮定です。しかもそう仮定して疑わない。仮定していることも知らないんです。

(※解説2)

 空間とは何か。自然科学は空間というものを非常に問題にしているように見えながら、実はその本質には何ら触れていないというのが岡の主張である。

 岡はある録音の中で、実におもしろいことを言っている。

 「空間というものは、つまり表現に過ぎん。肉体の外郭であって、肉体あるが故に空間という表現もある。(肉体が)なけりゃ(空間も)ないんです。」

 岡はそう言っているのだが、それは当然そうでしょう。例えば2点間の距離などというものは、もしこの肉体がなくなれば規定の仕様がなくなるのではないでしょうか。長さを測る物差しがなくなるようなもの。肉体に合わせて外界(周辺の自然、日本の国土、地球、太陽系、銀河系等)の大きさが決まるのである。

(※解説3)

 「途中は少し工夫してもよろしいが」と岡はいっていますが、その意味するところは例えば天体望遠鏡、電子顕微鏡、赤外線写真等の機械物を使うということである。何を使おうと、結局は人の「五感」で最終的にわかるものが「物質」という「実在」だと自然科学は仮定しているのである。

 一方、岡は「物心両面の大自然」という言葉を使い、仏教と同じく大自然には「物」と「心」の二面があるというのだが、自然科学はその目には見えない「心」の反面には、一切触れようとしない。だから岡は、それを「原始人に近い幼稚な仮定」だといったのである。

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