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2013.7.27up

岡潔講演録(7)


「岡の大脳生理」

【8】すみれの言葉(2)

紫の火花 1963年9月

 岩波新書に時実(利彦)さんの『脳の話』という本がある。その本によって言うのだが、大脳にはいろいろの中枢があちこちにある。しかし、共通の広場もあって、大脳の総合的な働きはここで行われる。

 だから、共通の広場はたいへん重要な意味をもってくる。この共通の広場は、数でいうと3つで、大脳前頭葉に1つ、大脳側頭葉は左右にあるから2つ。しかし側頭葉の左と右は、言語中枢に関してだけ違うが、あとは同じで、連絡もとれているから、種類からいってまず2種類とみてよい。

 この2つの広場の比較だが、大脳前頭葉は感情、意欲、創造をつかさどり、側頭葉は記憶、判断となっている。数学は大脳前頭葉を使って考える学問の1つだが、そのことをくわしく述べているのが、17世紀前半に出たデカルトの『方法序説』である。デカルトの「われ考ふ、故にわれあり」(cogito,ergosu-m.)の「考ふ」とは、大脳前頭葉で考えるという意味である。

(※解説9)

 出典が相前後しますが、先程の「左側頭葉にだけ言語中枢がある」と語った岡の文章を証拠として挙げてみました。ここで岡ははっきりと「側頭葉の左と右は、言語中枢に関してだけ違うが、あとは同じで、連絡もとれている」といっていて、言語中枢のあるなしは側頭葉の機能としては、大して問題にしていないことがわかると思います。

 またデカルトのいう「われ考ふ」は前頭葉で考えるという意味だと岡はいっていますが、これが西洋文明の「心臓」ということでしょう。芸術の方面ではロダンの「考える人」が如何にも前頭葉で考えているように私の目には映るのですが。

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