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2023.08.20up

岡潔講演録(31)


「岡潔先生と語る 」(3)- 西洋の真似はやめよ -

【7】 第二の心をみる(その1)

 (岡)あなた方、第二の心を簡単に見ようと思えば、さっき赤ん坊を見なさいと云いましたが、もう一つ方法がある。自分の夢をご覧になってごらんなさい。夢における自分とはどういうものかと。そうすると夢の中には自分というものが出て来ることもありますが、出て来ないことの方が多い。自分というものが無くても夢の筋書きは成り立っている。かように第二の心の中には、自分というものは無いのです。自分というものが無くても、人生という筋書きは有り得るんです。それを見ようと思えば、夢を観察してご覧になればよい。

 わたしがここに坐ってる、あなた方がそこに坐ってられる。こういう情勢においては、この情勢はある雰囲気をかもしますね。雨蛙は木の葉に登れば、皮膚が緑色になる。これは周囲に同化するんですね。これと同じことが人の心に起こる。物質的状況が変われば、その状況に応じて心の色どりが変わる。これをわたしは「情緒」と云っているんですが、物質的環境が心に情緒という影を落とすということを、西洋人は全然不思議と思わないんです。そういうところを細かくみる目を持っていないんですね。

 心的雰囲気があって、それが移り変わって行く。それが人生でしょう。だから情緒が人生を(えが)いているんであって、物質的自然だけでは人生とは直接関係がないのです。部屋へはいってスイッチを押すと電気がつく。スイッチを押せば電気がつくんですが、スイッチは電灯ではない。第一の心を働かせると、第二の心が働いて、電灯がつくから明らかになる。第一の心は自由に働かすことが出来る。だから第一の心が大事だと、西洋人はそうしか思えないんですが、仔細に見ますと第二の心というものがあって、それが働くから第一の心の働きが意味を持つので、もし第二の心が無かったら、電灯と絶縁された柱のスイッチをいろいろ押すようなものになってしまう。

 ここに自分は居る、向こうに花があると、これを自他対立と云う。物質的自然は自他対立している。これでは何の関係もない訳ですから、向こうに花があれば、自分の心の色どりがそれに応じて変わる。だから人は自然の中に居る、あるいは人の世に居るんですね。

 これは妙観察智という智力の働き。この妙観察智というのは第二の心に働く智力です。四種類あって、そのうち二つは云いました、大円鏡智、妙観察智。あと二つある訳ですね。

 どうもうまくいかない、面白くない、あいつが悪いんだ。すぐ人はこう思いますが、そういう外的条件が直接自分の心の快、不快につながるのではなく、そういう外的条件に応じて心が快、不快という色どりを出すんですね。だから心の状態が面白くないのは、自分の心がそうなんで、一番悪いのは自分なんです。(ひと)は単にその動機は作ってますが、それを仕上げてるものは自分なので、矢張り悪いのは自分が悪いのだと教えた昔の人の教えが正しいんです。

 第二の心が健康に働かなければ、人は決して幸福ではない。また人が幸福である時、人は幸福ということを意識しない。幸福とはそういうものです。

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