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2023.08.20up

岡潔講演録(31)


「岡潔先生と語る 」(3)- 西洋の真似はやめよ -

【1】 はじめに(1)西洋の知識

 (司会)それではただ今から始めたいと思います。こうして岡先生と膝をまじえて語りあう集いも、もうすっかり馴染みになりましたが、今日も最初に少し先生にお話しして頂きまして、そのあと座談会としたいと思います。

 それでは岡先生お願い致します。

 (岡)今の日本人の知識は、大体西洋人 ― 西洋人というと欧米人ですが ― 西洋人の知識をそのまま受け入れたものです。()呑みにしてる。大体それが今の日本人の知識になっている。素呑みにしているので、よく調べているのではない。それで西洋の知識というものを一度よく調べてみたいと思う。

 西洋人は五感で ― 五感と云いますと視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚ですが ― 五感でわからないものは無いとしか思えない。それで五感でわからないものは無い、という仮定を置いて調べたのと同じことになってます。これは自ずからそうなってる。

 自然科学もそうして自然を調べて行ったものです。ところが、そうすると素粒子というものが発見された。自然は、物質も質量のない光も電気も、みな素粒子によって構成されている。素粒子には種類が多い。しかしこれを二群に大別することが出来る。安定な素粒子群と不安定な素粒子群とに。この不安定な素粒子群は極めて寿命が短い。生まれて来て、またすぐ消えて行ってしまっている。その最も寿命が長いと云われているものの寿命も、百万分の一秒位。こういうことになったんです。

 不安定な素粒子のうちにも質量を持っているものがある。こういうことになった。そうすると不安定な素粒子の生まれる前の状態、消えて行ってから後の状態、これは五感でわからない状態です。もしそうでないとすれば、無から有が忽然として生じたことになって、自然をそういうものだと考えることは、自然は全然学問の対象にはならないと云うこと。だからこの不安定な素粒子の発見は、五感でわからないものが有るということを科学的に実証したことになります。五感でわからないものが有るということを実証するには、多少理性を加えなきゃならんことは云うまでもない。理性の目で見れば、五感でわからないものはある。こういうことになった。

 西洋人はここで、自分達がやってきたことは、五感でわからないものは無いという仮定のもとに総てやったのだということを自覚して ― ところがその結果は五感でわからないものは有るということが理性の目をもって見れば了々たる事実であるから、それだったら一番始めから一切を調べ直すほかはない。これが西洋の学問の置かれている現状です。こういうことになるんですね。

 その西洋の知識を鵜呑みにしてるのが我々日本人。こういうことになる。

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