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2015.11.18up

岡潔講演録(17)


「1969年の質疑応答」

【9】 民主主義の破綻

(岡) 若い人だってわかりますよ。正しゅういう人が1人もない。間違ったことばかりいう 一番いけないのは民主主義をよいとして、それを基にしてかれこれいうのが一番悪い 非常に多いんです。民主主義、わずか50年、既に破綻が出てるということがどーしてわからん 文化というのは創造でしょう。創造というのは、最初いう人は1人です。これと多数のいうことが正しいとするのと、相容れんということがどーしてわからんもう知力なんか全然働いてやしないもう、ただオオムの口真似式に、かれこれと。

 この、多数決を民主主義っていう、民主主義などというのは第1次大戦後にはじまって、既に破綻が出ている。西独あたりで大学が目茶目茶になっている。なるのは当然です。民主主義というのは多数が正しいと決めるのが民主主義です。ところが文化というものは創造が大事です。創造だったら、最初いう人は1人しかないんです。両立する訳がないでしょう。その破綻が50年経って、西独の大学へ出てる。日本はその真似をしようとしている。西独の工業力というものは単に量だけではなく、質的に高かったんですが、大学がああなったら、もうお終いだろうと思う。

 民主主義だけじゃありません、共産主義が出揃ったのも第1次大戦後です。まだ50年そこそこ、既に破綻が出てる。中共がソビエットに対して戦いを挑む。そのソビエットの方はどうかといいますと、チェコなんかがブツブツブツブツいってる、自由が欲しいといってる。やってみるとうまく行かんのです。だから、もう暫くするとこうなる。

(※解説9)

 岡は先ず共産主義に反対する立場である。しかし、実はいわゆる民主主義にも反対する。もっと正確にいえば、西洋から入ってきた「第1の心」の民主主義に反対するのである。

 「第1の心」の民主主義は個人の自由と権利を一応尊重するのだが、その出発点は「第1の心」の特徴である「自分が先」、つまり自己本位が大前提となっているから、いずれは自己主張の応酬となり、お互いの自由と権利は結果的には尊重されず、必ず破綻する方向に向かうと岡は見ているのである。その弊害を一時的に緩和しているのが「多数決」である。

 一方、共産主義は資本家の「搾取」という「血も涙もない」利己主義に対抗して生まれたものではあるが、個人の自由と権利よりも国家統制を重視するあまり、いわゆる「全体主義」に陥りがちなのであって、これもその原因を探っていくとやはり「第1の心」の「意志と力」の思想に行き着くのである。この「意志と力」の思想が国家の強力な統制力として現れて、ついには20世紀に何千万もの犠牲者を生み出す結果となったのである。

 だから問題なのは今議論されているような自由主義か共産主義かではなく、「第1の心」か「第2の心」かが真に民主主義を実現する上で大問題なのである。

 では「第2の心」の民主主義を岡は具体的にどのような体勢に求めているのか。それは先にも少し触れたが、ここでは結論だけいっておこう。意外とは思うが、「第2の心」が既に定着し、10万年は続くと岡のいう日本の天皇制にである。

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