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2015.02.09up

岡潔講演録(13)


「人とは何か」

【1】 証明「2つの心」

 秋風が吹く。そうすると「もの悲しい」。芭蕉は、

  秋風はもの云わぬ子も涙にて

 と云っています。秋風が吹くと、何故もの悲しいのだろう。これは心がもの悲しさというメロディーを奏でるからですね。だが、どういう心だろう。

 心理学が対象とする前頭葉に宿る心を第1の心と云うことにしますと、今問題にしている心は、秋風が吹きさえすれば、ちょうどピアノの決ったキーを押したように、必ずもの悲しいというメロデイーを奏でる。だからこれは私の入らない心、無私の心です。

 しかし第1の心は私を入れなければ動かない心です。私は悲しい、私は嬉しい、私は意欲する。これが第1の心。で、その点違っている。

 その上、第1の心は五尺のからだに閉じ込められてある心です。自分が悲しくても、隣に座っている人は悲しくない。しかし今問題にしている心は、秋風が吹くところ、家々村々悲しくない人はいない。こんなに違っているのだから、第1の心とは別の、第2の心は確かにある。

(※解説1)

 これが流石に数学者らしい岡の証明「2つの心」である。西洋から入ってきた心理学が対象としている「第1の心」とは違う「第2の心」は確かにあると、岡はここで主張したいのである。

 日本人は万葉集や芭蕉の世界のように、秋風が吹けばもの悲しいし時雨が降ればもの懐かしいという世界に今も住んでいるように見えるのだが、それは西洋心理学の世界とはどこがどう違っているのだろうかという岡の追求が、この辺から本格的になってくるのである。

 「第2の心」は一言でいえば深層心理学(フロイトやユングではまだ浅い)の世界であるが、それは暗に文学、芸術、宗教等に現れており、特にその宗教でいえば、神と人とが自他対立し神が人を支配する意志の宗教であるキリスト教やイスラム教は、岡のいう「第2の心」の宗教とは言いづらいのである。それが証拠に今日までの宗教戦争は主に「第1の心」の宗教地域から起こっているのではないだろうか。

 従って岡は「第2の心」は、神と人とが融合し神が人間活動を心の根底から支えているという日本や東洋にしか存在しないと見ているのであって、そう別けなければ今日の人類の行き詰まった諸問題、特に今激化する民族対立を解決する糸口は決して見つからないのである。

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