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 2012.10.21 up

岡潔の生涯と思想(1)

2011年9月5日

於:和歌山県橋本市

数学者 岡潔思想研究会 横山 賢二

はじめに

どうも初めまして、横山でございます。私は高知で研究会をやっている者ですが、こんなに多くの方の前でお話をすることはほとんどなくて、黙々と今まで研究することだけに携わってきましたので、皆さんに上手に話ができるかどうか分かりませんが、まあその辺はご理解頂きたいという風に思います。約時間20分ということでしょうか。どういうことになりますか、私自身どんな話になるか分かりませんが、まあ岡潔についてお話したいということは随分前から頭の中でズーッとありまして、こうやって橋本市の皆さんの前でお話できることは、本当に岡潔先生の出身地でもありますし、非常に感慨深いものがあります。

岡先生の郷里

えーと、どこからお話しようかということですが、岡先生は勿論橋本市の紀見峠で生まれましたが-いや、違います。大阪で、大阪の東区島町という所で生まれまして、お父さんは軍人さんでした。その後、橋本市の紀見峠へ小学校の時に移ってきまして、お爺さんが旅籠をやっておったということで、高野山の巡礼の方の泊る旅籠をやっておりました。仲々お爺さんが厳格な人でして、岡の人格を形成したその基礎を作ったのは、お爺さんの教育だったという風なことも岡先生自身がいっております。あのう、ご存知でしょうか。橋本駅の北側のに公園がありますが、丸山公園というんですか。そこに碑が建っておるのはご存じでしょうか。あれが岡文一郎といいまして、岡潔のお爺さんの碑なんです。そのお爺さんは郡長といいますか、昔の郡の長ですね、をやった方です。随分と地元に尽力しまして私財を投じてトンネルを掘ったり、道を造ったりした人らしいです。それを顕彰して立派な平板縦長の碑が建っておりまして、古風な漢文で書かれてあります。私は読めませんが、岡先生の本の中でもその碑を拓本にとって、それで一度読んでみたいという風なことをいっておりますね。それほどお爺さんの影響を受けたし、そのお爺さんの碑は橋本市を見おろすところにある。岡先生の碑もいずれ造って頂きたいと思うんですけど、そういう話はないでしょうか、どうでしょう。

岡先生の墓

お墓はどの辺りにあるか、ご存じですか。奈良公園のそばの先生の自宅から南の方に歩いて20分位のところに、岡家累代の墓があります。岡潔とは書いてないですね。だからそんなもので、本当に人々が岡潔を顕彰しようという気運がまだ生まれていない。本当にその気があれば、やはりせめて碑を造るとか、それから資料館だとかあってほしいなというのが我々の願いです。

岡の資料の概要

資料としては、沢山の資料がありまして、晩年京都産業大学で「日本民族」と題して年間にわたり講義をしまして、そのテープ、時間半のテープが約200本あります。それと私と同じ郷里の先輩であります、岡の直弟子といってもいいと思いますが、松澤信夫という人が生駒におりまして、その方が岡が亡くなって今日までの約30年間、サラリーマンをしながら昼は仕事をし夜は遅くまでそのテープを書き起こししまして、手書きの資料としてファイルで15冊位を完成しています。その他、講演録とか対談録とか、全ての資料を蒐集整理していますが、これが岡潔の晩年の主な資料です。

処女作「春宵十話」

それからあと資料としては出版された著書が-「岡潔先生の晩年」というプリントがありますが、これを見て頂けますか。岡の晩年というのは1960年-岡は1901年に生まれますので、丁度計算が早いので私は西暦を使っています。だから1960年、昭和34年ですね。この年に文化勲章を受けまして、一躍有名となるんです。年後には最初の著書ですね、これは処女作ということになりますが、「春宵十話」というのが出ます。これが岡の入門書です。今復刻されまして随分と-私、インターネットでいろいろと反応を探っているんですが、随分と読まれているようです。初めての若い方なんかが非常にユニークでおもしろいということで、この「春宵十話」というのが随分と読まれてます。だから皆さんも関心のある方はこの本を、これ文庫本ですが、お読みになったら岡の思想がわかってくると思います。

岡の著書の全体像

時間もあまりないものですから、出版された著書のことを先ず説明しますと、「春宵十話」、これは毎日出版文化章という賞を頂きましてベストセラーになります。岡の奇人変人ぶりとあいまって全国で読まれる訳です。言っていることが非常に斬新であって、本質を突いていて、しかも深い。こういうことで人間的おもしろ味も手伝って、随分と読まれてます。その後、次から次へと出版されまして、「風蘭」「紫の火花」「春風夏雨」「月影」、そして今復刻されまして随分と読まれてます小林秀雄との対談「人間の建設」、そういう風に15冊位出版されます。しかし、これらは今、図書館にはボツボツあると思うんですが、2001年までは全て絶版となってました。ところが時代が次第に変わってきまして、岡の予想した方向に時代が移りつつあるということか、2001年、つまり21世紀の初頭、ここでやっと岡の復刻の第一冊目が出ました。「情緒の教育」という本で、これはまあ岡のアンソロジーといいますか、初期のものの抜粋が出る。我々はとにかく本が出ないことには人に訴える訳にもいかん、とにかく冊欲しいということをズーッと願っていましたが、それがやっと叶いまして2001年に出ました。そこから次から次へと年に一冊のペースで本が出まして、現在では10冊を越えています。是非そういう風な本がありますので、どれでも買われて読まれたら、岡の思想が段々とわかってくるんじゃないかと思います。

岡との出会い

えーと、少し晩年のところに来ましたが、ちょっと順序は逆になりますが、私と岡との出会いというところを遅ればせながらお話したいと思います。先程もご紹介がありましたように、私は岡のことは全く知らなかったんですが、高校の時に高知県校長会主宰の講演会に友人に引ぱられて行きまして、この時岡の講演を初めて聞いた訳です。不思議なことに、この講演会のエピソードは初期の著書の中に随分と出てきますが、その年は1968年でした。これを年代表で見てもらったら分かりますとうり、このままじゃ日本が危いと岡は随分と日本に警鐘を鳴らします。それは何故かというと、日本の心の世界がおかしいんだと。目に見える物の世界ではない、経済でもない、政治でもない、文化でもない。先ずは心の世界がおかしいんだと。その心の世界が経済、政治、文化に反映して、現在の日本の危機的状況があるんだと。現実の政治そのものを直してもダメだというんです。心の世界を直さなきゃいけない。しかし、その心の世界が難しいもので、物は見えますが、心の世界は見えない。これを如何につかまえるかというのが岡の主眼だった訳です。仲々今までそういうことをした人は少ない。勿論、宗教家の方がいろいろ心というものを見てますが、複雑すぎて仲々かわらない。だからその心の世界をみて、そしてこの心の世界がおかしいから何れ日本はおかしくなると、そういう風に警鐘を鳴らした訳です。この1968年というのは、岡が声を枯らして警鐘を鳴らした年です。

教育への警鐘

教育についても、坂田道太文部大臣という方が当時おりまして、ご存知でしょう、坂田道太。仲々の人物という風に岡はいっております。「大したものだ、驚いた」とかいっておりますね。田中角栄が総理の頃ですか。岡は文部大臣であった坂田と対談しまして、日本を変えるのは教育だ、教育を早急に根本から変えなきゃいけないと申し入れます。その当時の教育というものは、これはまあ赤旗を振ったりするような教員が多かった訳ですね。組合運動が非常に盛んな時で、角材を持って東大紛争もありました。あの頃ですから、もうてんやわんやの頃でした。逆に今元気がなくなって、あの頃のエネルギーはどこへ行ったんだろうという若者が多いんですが、あの頃はまだ馬力はあったですよね。だけども方向性がおかしいと岡は見てた訳です。だからこのまま行くと危い。で、その頃私は講演を聞いた訳ですが、非常にはげしい講演だったように記憶してます。校長連中が聞いている中で、話ていくうちに反応がにぶいというのが直にわかる訳です。特に高知県は当時、革新系が多かったですから。だから非常に反応がにぶいなと思ったんでしょうね。突然「これがわからんか!!」と一喝されたんですよ。私ビックリしましてね、いきなり怒る訳です。だからこれは凄い先生だなと思いましたね。

小我と真我

それとやはり、その頃は小我、真我という、このプリントでいいますと、1965年に小我、真我と書いてあります。この二つの言葉、これは仏教から引いてきた言葉なんです。岡は仏教というものは既に、道元禅師35才の頃から学んでいましたし、岡自身が仏教の最先端だという光明主義を研究しはじめたのは45才の時からです。ここは1965年ですから、約20年位ズーッと仏教とは何かということを、数学者の頭で考えてきた訳です。そこで行きついた所が小我、真我という言葉です。この小我といいますのは自分中心の心、自己中といいますが、この表面に現れている自己中はまだいいと、潜在的な自己中が困る。「消極的な利己主義が誠に困る」といっています。それが日本に蔓延しているんだと。ところがこの小我ではなくて、人には真我というものがある。真我というのは自己中心ではなく、いわば無私の心ですね。漱石の言葉でいえば「則天去私」という言葉になりますが。つまり普段思っている自分とは小我の自分である。しかし、心の底に真我がある。その真我の言葉を忠実に聞いて行動すれば、人に迷惑をかけることもないし、社会は安定するんだけれど、小我の言葉を衝動的に聞いて行動するもんだから、大混乱が起きる。自己中が蔓延する訳ですから。それが今の日本の混乱の原因だといってます。この小我、真我という言葉を仏教から引いてきて、この二つの概念で簡潔に人というものを説明しようとした人を、私は他に知らないんです。

一般の仏教とは

仏教はいろいろ細かいことをいいましてね、八正道だとか、八つの正しい道と書きます。それから六波羅密とか、六つの正しい行いとか、こういう風なことをいいます。しかし、私は頭が良くなくて、八正道がどういうものかいちいち憶えてはいませんが、それほど不道徳なこともしていない。だから八正道という一つ一つの標語によって道徳を守るんではなくて、やはりそういう構造的に煮詰めたもの、つまり小我か真我かということを考えることが大事だと思うんです。その私が聞いた講演でもそういうことをいいまして、私はそれに大変感銘を受けた訳です。そこから岡を読みはじめまして、初めの20年は既に出版されている著書によって勉強しました。

岡との対面

それから、私が岡先生に直にお会いしたことを、ここでちょっと言いましょう。高知の講演会でお顔を見たあと、その後本を読みまして興味津々でおった訳ですが、私が大学中退で東京から帰る時に、よし奈良に寄って岡潔に一目会っていこう、ということで岡家を訪ねました。入るのに大分逡巡したんですが、意を決して入りましたら奥さんのミチさんがおいでまして、取りついでくれました。岡も家におりまして、じゃあ会おうということで、床の間に通されました。お床を背にして上座に私が、全てそのような岡のやり方です。上座にお客様を通す訳です。そうして待っておりますと、岡が隣の部屋から出てきた訳です。着物だったと思いますが、浴衣だったか、初夏のことでしたから。それで私の正面に端座されました。よく見ますと、目に大きな目垢がついているんですね。この先生は真昼間から目垢をつけている。これはどういうことだろうか。何か感じからすると、一晩寝ていないなという感じがしました。

三日は寝ない集中力

岡は本当に物を考えるには三日は寝ないといいます。数学の問題を解くにも、三日間寝ずに考えて解答が出るものじゃないと、問題とはいえないといってます。しかも、晩年は一週間寝ないこともあったように聞いていますが、ちょっと私には真偽の程はわかりません。だけどそれは有り得ることと思いますね。録音の中でも、「私、ちょっと二、三日寝てないから、何を話すかわかりません」という風な録音が入っています。一週間はきつい、だけど三日は間違いないと思いますね。つまり、一度寝ると思考がとぎれますから、また一から始める訳です。それを繰り返したら、何時までたっても先へは進めない。だから集中的にグーッと掘り下げていく訳です。それに三日はかかる。これを繰り返したのが岡の一生だったと私は思うんです。最初は数学の世界で、問題を解くにそういう風な集中力でやる。

数学から心の世界の探求へ

晩年は今度は、皆さんご存知ないかも知れませんが、数学を捨てるといっていいと思うんです。60才で文化勲章を受けたあと心の世界、これが人類にとってより大事だと、いえ日本の危機的状況もありますし、心の世界が大事だということで数学で磨いた頭脳と経験、こういったものを総動員しまして心の世界の解明に向かっていく訳です。私はその部分が岡潔の最大の功績ではないかと思っているんです。これが仲々すごいスケールのものでして、ちょっと想像がつきにくい。私も20年は本格的に晩年のものを勉強しますが、晩年後期となりますと、まだ歯が立ちません。中期がやっとわかった。そこに書いてありますね、晩年初期、中期、後期と三期に別けてます。晩年初期というのは岡が講演や著書で警鐘を鳴らして、一般の国民の方も一応認識している部分なんです。

著書の出版が止まる

ところが1969年に「神々の花園」という本が出版されましたのを最後に、出版が止まります。何故かというと、本があまり売れなくなる。あまりにも当時の常識とは掛けはなれたことを言いはじめましたから、ちょっと着いて行けないと。で、「神々の花園」から出版が止まった後、そこから岡という存在は日本から消えてしまう訳です。だから岡のイメージというのは、晩年初期の1969年までのものを皆さん漠然と思っている訳です。ところが私、まあ弟子の一人からいわせますと、この69年から後というのが岡の思想の核心でして、まあそれは難解ですが、だけれどもこれが岡が一番言いたかったことと思うんです。

岡の思考方法

そして、晩年中期と書いてありますが、69年から72年という。ここはですね、一般には勿論発表されてない部分ですが、岡の思想というのは複雑なものからシンプルな形にグーッと凝縮していく訳ですね。分散しない、凝縮です。これが岡の思想の特徴です。だから複雑なものが沢山あって、これをズーッと煮詰めていって、そして一つのシンプルな形にポンと持っていく訳です。その繰り返しを何回も何回もやっている訳です。だからシンプルにシンプルに凝縮していく。帰納といいますね、演繹の反対です。演繹は拡散していく、帰納は集約していく。純化といっても良いですね。で、これをやってる訳です。一つのシンプルな形にすることができれば、それが即ち分かったということですから、手の平に乗る訳ですね。手に平に乗るようにならなければ、物事は本当に分かったとはいえないと思う。

知識のガラクタ

今の学者さんはいろんな知識がありまして、いわば笊を頭に乗せて沢山の知識を入れてる訳です。それで「ああだ、こうだ」というんですが、雑然としてまとまりがないから、本当に分かっているかどうか頭をかしげたくなる。それを岡は「知識のガラクタ」といっていますが、それでは本当の学問じゃない。多くの知識を集約統合して、一つのものにパンとまとまる。これをしなければ、学問の真の方向性は出てこない。岡はそれをやった人です。

岡の思想と富士の姿

それで何でしたかね、「神々の花園」。そのあと1972年「真情の発見」と書いてあります。これを最後に言いたいんですが、「日本の心、真情の発見」。ここがですね、丁度合目なんです。岡の思想というのは富士山のようなシルエットを描いている。この図はズーッと右肩上がりになっていまして、一つ合目に突起があり、そしてまた上がっていってる訳です。この突起が合目にある宝永山を連想しまして、全体として富士の姿を連想します。丁度その合目というところに大きなエポック、大発見がありまして、これがいわば全く世に知られていないのです。だけどこれが非常にシンプルに解答を出した、本来の日本人であれば誰にでも分かるというころこです。岡もそれまでは分かっていない部分があるんです。だから西洋文明のみならず、東洋思想の学問、芸術、宗教等の全てを総合して、ああだこうだといろいろ考えているんです。それが段々と煮詰まって、一つのシンプルな形に結晶する。これが五合目の「真情の発見」ということなんです。だから今日タイトルにした「20世紀最大の発見、岡潔の情の発見」、これはその合目を私、皆さんにご訴えしたいから言っている訳です。これが日本に全く知られていない。しかし、非常に一般の人にも分かりやすい。私みたいな者でも簡単に分かったものですから、分かると思うんですよ。それを是非皆さんにお伝えして、そこから橋本市の取り組みもまた考えて頂きたい。これは人類最大の発見だと思ってます。これを説明するには少し時間がかかりますが。

二つの知情意

まあ、簡単にいいますと、枚目を開けて頂きますでしょうか。三角形が書いてありまして、パッと見ても分かりにくいかも知れませんが、簡単に「知、情、意」ということで説明させて頂きたいと思います。左の上に三角形がありまして、右の下にも三角形があります。岡の「情の世界」を分かって頂くには、こういう図解が一番わかりやすいのではないかと思って考えたんです。まあ、西洋というと、岡にいわせれば「浅い心」だと、だから簡単に人と人とが対立する。民族も対立する。社会は経済にしろ政治しろ、制度としては完成度が高いかも知れないが、これは対立を前提にした上での制度なんですよね。その制度が素晴らしいということは、如何に対立が激しいかということの裏返しではないか。

西洋人が見た日本

ところが日本は、まあ最近は西洋の真似をして成熟した法治国家などといわれていますが、江戸時代の日本人というのは日常的には、ほとんど制度なんていう概念はなかったんじゃないでしょうか。それでいて江戸、明治期あたりに来た西洋人が日本の社会、日本の生活、日本の自然、そういう風なものを見て、こんなに豊かで素晴らしい国があったかと感動して書き残しているのを皆さんはご存知と思います。これは渡辺京二著「逝きし世の面影」が有名ですが、それがやはり西洋人の偽らざる直観ではなかったかと思うんです。それは何故かというと、日本人は制度としては大したことはないのに、自然にそういう風な生活をしている。例えば、街で人力車がお互いに接触しても、先ずはお互いを気遣って笑顔で別れていくという風な場面を見るんです。子供達はもう生き生きとして、無邪気に街で遊んでいる。丸で子供の天国だという風にいっていますね。それから産業はバリエーション豊かで、細かに細分化された産業があり、手作りの心の行き届いた素晴らしい商品を、一般庶民がドンドン生み出している。そういう風なものを見て、西洋人はビックリする訳です。

浅い心と深い心

結局、西洋との違いというのは、西洋は浅い心の有形文化だと、日本は実は深い心の無形文化を持っているんだと、岡は気がつく訳です。これは1929年、フランスへ留学しまして、そのフランスの社会を見た時の直観に始まる訳です。西洋には何か足りないものがある。日本には身の囲りに充ち溢れている何かがあるんだけれども、西洋にはそれがない。それは一体、何だろうというのが、数学以外でのフランス留学のテーマになる訳です。そこから晩年の70才までですから、約40年間関心を持ちつづけ、その結果としてこの「二つの心」、そして「情の発見」、これが生まれてくる訳です。

浅い心の意

まあ、それを説明しますと、西洋人の心の構造は「知、情、意」という風なことで別けますと、「意」が中心である、中心というか根底にある。意というのは意志、もっとはっきりいえば対立の意志。意志が根底にある。別の言い方をすれば「力の思想」、力が正義であるという思想です。西洋人でも哲学者の中には、これに気づいた人がおりまして、ショウペンハウエル、それからハイデッカーヤスパース。こういう人達が、我々西洋人の心の根底は意志の世界である。だから、その意志の世界を突破しないことには本当の平和は訪れないという風にいっているんです。西洋人でも少数ですが、気がついているんですね。それは何に由来するかといったら、対立の意志、力の思想です。だから、西洋のやり方は全て競争になるでしょう。軍拡競争は勿論のこと、スポーツやっても競争になるし、教育でさえも競争になる。彼等はお互いの競争の中にのみ、真の進歩があると考えているとしか思えない。それはギリシャの神話からしてそうですが、一般の西洋人はそれにまだ気づいていません。で、それが競争心、それが意志。

浅い心の知

それから、その上が「知」。知というのは知識。知識というのは、多けば多いほど良いものが知識。だから戦後の我々というのは頭に如何に知識を詰め込むか、これをズーッとやってきた訳です。今の受験戦争も大体、知識の蓄積。これを目標にやっている訳ですね。だけど本当は知識の量ではなくて、知識の質が問題なのではないですか。質の高い知識の一つで、人生は変わることがありますからね。で、これも西洋の真似じゃないか。

浅い心の情

最後に「情」。これは「感情」のことです。感情というのは、自分が嬉しい、自分が悲しい、自分が愛する、自分が憎むと、こういう風なものです。今の日本のテレビでも「愛と憎しみのドラマ」というのがありますが、これは主に西洋映画の特徴じゃないでしょうか。また、人は感情的になったらダメなんですよね、理性は働かない。だから「喜怒哀楽」の情が感情なんでして、「自分が」というのが入る訳ですね、浅い心は。競争なんかも自分中心に考えるから、人と競争したくなる訳です。

深い心の情

で、深い心は「第二の心」というんですが、その根底が「情」だと岡は突き止める訳です。情といいますと、「真情」と書いてありますね。「感情」は自分が嬉しい、自分が悲しい。しかし、「真情」は人と自然の喜びを喜び、悲しみを悲しむ。日本でいってる「情」というのは「感情」のことではなくて、この「真情」のことではないでしょうか。人の悲しみを悲しみ、喜びを喜ぶ、これが日本でいっている「情」ではないですか。今度の大震災以後、よく「絆」という言葉を耳にしますが、「絆」というのも「情」のことではないですか。また、最近は俳句とか和歌とかが盛んでして、それは主に自然の風情というものを歌に残す訳ですね。自然の風情を感じるということは、自然の情緒を自分の情緒とする訳でしょう。それだったら、これは感情ではなくて、私無しの情、無私の情ではないでしょうか。これが日本でいっている情ではないですか。その情が日本人の心の根底を支えている。ところが、そういう指摘をした人が、有史以来、一人もいないんです。岡は人類で初めてそれに気がついて、そして簡単に「情が大事だ」といったんです。万葉の歌とか芭蕉の俳句とか、日本の古典といわれるものは全て、その「情」の発露なんですね。

深い心の知

先程の知識ですが、知識は多ければ多いほど良い。これが知識。それに対して「真如」と書いてありますが、まあ「知慧」といってもいいですね。宗教なんかの知慧というのは「真理は一つ」という方向へ行く。だから一つに凝縮するのが知慧なんですよね。ところが西洋でいっている知識というのは、拡大する発散するという方向へ行く。これは全く反対の方向性なんです。

深い心の意

それから最後「競争心と向上心」と書いてありますが、これが一番分かりやすい所ではないかと思います。競争心というのは「人に勝って自分は喜ぶ」。今のスポーツ界でも受験戦争でも企業活動でも全てそうですが、基本的には「人に勝って自分は喜ぶ」という原理で動いてるんじゃないでしょうか。そこにわずかながら、日本人の情の感性が入って微妙なものになってはいますが、基本的には競争心で動いている。しかし、深い心はどういうものかというと「向上心」だという。向上心というのは「自分に勝って人を助ける」。つまり、自分のわがままや欲望、そういうものを抑制して、そうすると深い心、真我が蘇りますから、そうすると人を助けたくなるんです。日本は江戸時代の寺小屋でも、同級生どうし教え合いながら学んだんじゃなかったですか。大体、人と比較するテストなんてものが入ってきたのは、明治以降ではないでしょうか。

私の高校の恩師、内田八朗

高知県で実践的教育改革を訴えた私の高校の恩師、内田八朗は「学校とは勉強する所ではない、人に勉強をさせてあげる所だ」と言いました。それから内田先生は国語の先生でしたが、試験の時には辞書、参考書は持ち込み可でした。これは先程いいました知識の量を測るだけの教育を嫌ったためだろうと思います。その内田先生は「学問には汲めども尽きぬ喜びがある」と言い残しましたが、こんな風な勉強の仕方をしてると本当に勉強がおもしろくなってくるんですよね。そこで益々意が出てくる訳です。ところが人に勝つために勉強すると、人に負けたらガックリ意欲がなくなる。しかも、大学を出たら目標がなくなって、全く勉強しない。私なんか大学までは大したことはしてないですが、岡潔を学びはじめて40年、ズーッと学びつづけています。やればやるほどおもしろい。これは世の為にもなると思いますから、だから余計熱が入ります。

道元禅師の言葉

だから二つの心、この二つの心があるんですね。仏教なんか昔いってましたが、よく「我を折れ」とかいいました。これは浅い心を折れという意味ですね。それから道元禅師、岡が非常に尊敬した道元禅師は正法眼蔵の中で「仏道を習うとは自己を習うなり、自己を習うとは自己を忘るるなり」といっています。つまり、浅い心を忘れるのが仏である。浅い心を脱却して深い心に徹するのが仏教の道だという意味ですね。やはり、そういう風な二重構造になっていますね、この浅い心と深い心は。

京都産業大学講義録

あとはですね、京都産業大学の講義録という晩年中期、後期の資料が残されています。その資料がまだ手書きのままで随分とファイルで残っているんですが、特に後期のものは今我々が読んで分かるものではない。しかし、これを残すことによって、将来の日本を救うことができるかも知れない。岡のやっていることというのは、将来の日本のことは充分にわかって、そして将来日本は何に困るかということもわかって、そして残してくれている訳です。私はそれは勉強してるとよく分かるんです。ああ、これが大事だから、これを言ってくれてるな、というのが。だから先が見えて、至れり尽くせりと全てやってくれているのです。で、その資料が消滅寸前のまま今日まで来た訳です。そういうことですから、岡潔の郷里である橋本市にも、その辺を是非ご理解頂いて、後世の日本-先程いわれましたけれども、日本のため、世界へ発信するため、これは冗談ではなくてまさしく、岡の思想を後世に残すということは今後の日本、否人類のために必ずや役立つと思うんです。我々日本人はまだそのことに気がついてはいないですけれども、それを残すことによって将来の日本が、世界が喜ぶ訳です。是非、それを何らかの形で考えて頂けたらと思います。これはもう橋本市が日本全体にとっての非常に大きな役割ではないかと思うんです。

春雨の曲

それで「春雨の曲」というのを書いてありますが、1971年から没するまでの1978年。これが岡先生が晩年、力をふりしぼって日本に一冊でいいから、「経典」を残したい。仏教で「きょうてん」といいますね。岡はそれを「けいてん」と読ませて、日本の将来にとって必要な経典を残さないといかんと、この春雨の曲というのを何回も改稿しながら、書き直しながら深く深く探っていく訳です。これはもう本当に、私にはとても歯が立たんという所です。これを年の間に回書き直します。それぞれの稿が全くイメージ、雰囲気のちがう世界が展開されていまして、空畏しささえ感じる程です。これは実際、今すぐ役に立つものではないかも知れない。これから日本が100年、200年、300年とやっていく中で、段々我々が認識を深め、その値打がわかり、しかもその必要性も出てくると、こういうもんじゃないかと思う。だからこれはやはり、今わからなくても残さなきゃいかん。まあ、この春雨の曲も私の所にありますし、全国の何ヶ所かには資料として保存されております。岡先生直筆のコピーをファイルにしてあります。

真情の発見

最後にやはり「真情の発見」というところ、合目のことですが、これが私の一番言いたいところでして、この為に今まで活動してきたといっても過言ではないという風に思います。やはり是非、皆さんにも要点を知って頂きたい。日本人は「情の民族」であるというのが岡の最大の主張でして、これは口を酸っぱくして言いました。西洋は意志の民族であって、情の民族ではない。そういう風なことをいうと随分、排他的だ国粋主義だという風に当時とられました。つまり、ある面日本人が優れているということを日本人自身が聞くと、日本人は謙虚ですから逆に反感を感じるらしい。謙虚すぎて自分が優れているとは仲々思えない。日本人は自虐史観を持つ世界で珍しい民族だとよくいわれますが、だけどもそれほどの謙虚な民族でないことには、これからの世界を本当に平和にしていくこともまた不可能ではないでしょうか。今、世界は混乱しております。日本国内も随分と地震や洪水など自然災害があるだけではなく、社会全体が昏迷を深めておりまして、時代の先行きに不安の声があがっています。先日の大震災の時にも、日本人の美事な和の精神が発揮されました。先ず略奪がなかったということ。これは西洋が非常に驚きまして、注目されてる訳です。何故だろうかと。西洋では必ず略奪がある。ところが日本では普段は競争だ金儲けだとやっている日本人が、いざ地震がダーンと起きると、表面の意識、浅い心は飛んでしまう。そうすると本来の深い心だけになってる。そうするとどうしたかっていうと、皆んな整然と列を作って並ぶんです。何故、列を作るかというと、人を先にするからでしょう。自分を先にするんだったら略奪ですよ。ところが自分のことよりも人様のことを考えるから、整然と並ぶんです。

東洋思想の欠点

そういう心が日本人にはるんですよね。その日本人の素朴な心の上に、東洋からいわば「偉さ」をいう思想、権威主義が入ってきた。岡がいうには東洋思想には欠点があって、概して権威主義。勿論、西洋思想に比べたら非常に良いんですよ。共生思想ではあるんですが、だけども欠点があって「偉さ」いうという特徴があるんですね。だから仏教でも僧侶が座布団をドンドン高くして、袈裟の色も違ってくる。これは偉さをいうんだよということを表していますが、東洋思想は概して権威主義なんです。日本の伝統を嫌う人は、この東洋から入ってきた権威主義が鼻につくんじゃないでしょうか。家柄をいうだとか、男尊女卑、それから立身出世主義だとか。ところが本来の日本の思想はどうかといいますと「実るほど首をたれる稲穂かな」という言葉がありまして、偉くなるほど段々頭が低くなる。これが日本思想の特徴です。これは中国にはないことです。今でも中国の警官というのは、全てそっちへ行け、あっちへ行けと上から指示するでしょう。そして、その権力を傘にきて賄賂をもらう。こういう構図です。日本には比較的賄賂が少ないのは、段々頭が低くなって人様のことを考えるから。これを一言でいうと「情の世界」というんです。これが「情の世界」。今回の大地震でも、もう完全に日本人にも「アレ、日本人って違ってるな」ということが分かったですね。まあ、阪神大震災の時も、そういう傾向がありまして、随分と気づいた人がおりました。もう10何年前ですか。やはりあの時も整然と並んで、協力しあい助けあい。それがドンドンと出てくる。

進歩とは何か

この、進歩というものはどういうものかと考えますと、西洋のいってるような進歩といいいますのは、お互いに理性的に話し合って、契約の合意によって-つまり意識的に良い社会を理想として作っていったら、それでうまくいくと思ってやってるんですが、それでは本当はうまくいかないんですよね。資本主義に対抗して共産主義ができまして、資本を分配すればうまくいくということでやりましたが、全体主義になる、虐殺はある、そして最後は自滅してしまった。この原因は意志の思想、力の思想から来るものですが、もう一つの要因としては、そんな意識的、計画的に社会を作ろうとしても人にはできるものではない。どういう風にしなきゃいけないかというと、無意識的にその「情の世界」ができ上がってないことには始まらないのです。だから震災がドーンときて、皆んなハッとして、そして気がつけば本来の「情の世界」に目覚めてる訳でしょう。そういう風な社会が既にできあがってないことには、いくら良い社会を意識的に造ろうとしてもダメです。だから、本当の進歩というのは後ろ向きに進歩する訳ですね。進歩しては自分が気がつく、進歩しては自分が気がつく。これが本当の進歩です。

人類を救う唯一の道

西洋のは前向きの進歩で、ああやったら良い、こうやったら良いとやるんだけれど、意識的、理性的にそんなものを考えてやったって、結局はうまくいかない。これが心の構造から見たソ連が崩壊した理由です。それから一方の資本主義も危いですね。同じ浅い心の世界観の右翼と左翼ですから、結局同じです。私よくいうんですが、西洋のいう「リベラル」というのも浅い心の世界観の上での中道ということでして、決して深い心の世界観の政治理念ではないんですよ。これから人類はその浅い心の世界観を突破しなきゃいけないんです。だから理論とか法律とか社会制度とかというよりも、むしろ心の構造が問題なんです。だけど、それにどれぐらいの時間がかかると思いますか。岡の計算では10万年はかかる。50年や100年でできるもんじゃないんですね、日本社会は。10万年の蓄積があって初めて、こういう風な深い心の「情の世界」ができたんです。我々は今それに気がつくべき時に来ているんですよ。最後に残されたのは、我々の自覚だけなんです。別に新しい社会のビジョンを描く必要はない。既に我々はそういう心の世界を無意識的に持っていますから、それに気づくだけでよい。それが人類を救う唯一の道なんです。それを訴えつづけたのが岡潔なんです。

冊子「情と日本人」

大体、時間がきたと思います。このプリント「情と日本人」というのは、これは岡の「情の世界」を最も簡潔に岡が語ったところを書き起こしたものです。これは非常にわかりやすいんですが、ちょっとまだ正式には出版できないんです。仲々、晩年のものは出版できないというのが現状ですから、私はこれをご縁にまかせて配ってきたんです。是非、皆さんお読みになって下さい。やはり、繰り返し繰り返し読むということが、岡潔をわかる秘訣なんです。私の勉強方法も今までそういう風にしてきたんです。

岡の大脳生理

大脳生理のことは今日は言いませんでしたが、戦後の大脳生理というのは、機械的な働きしかない大脳側頭葉の能力を高めるだけの教育でして、一回読んだら分かったという世界、記憶したらいいという世界。だから計算処理速度が速い、記憶の容量が多い。これはまさに電算機の特徴でして、岡はここは機械室だといっています。こういう発想は岡の大脳生理以外はしていません。今の大脳生理学はまだそのことに気がついていない。戦後のアメリカの教育学や大脳生理は、その側頭葉の機械的なところを重視するものだから、全ての日本人がそれを見習った訳です。だから知能指数というのは私の小さい頃、とにかく早く回答を出すことが重視されていました。しかし、岡にいわせれば、そんなものは頭ではない。数学で使う頭というのは前頭葉だという。この前頭葉は意味内容を考えるところでして、ここをジックリと働かす。これが科学的な頭脳ということであり、これからの日本人が本格的に鍛えていかなきゃならん所だという。ここで日本人が自らの心の構造を自覚して、そしてその前頭葉を使って人類の新しい文化や社会を建設していくべきだと言っています。大脳生理のことは時間がかかりますので、今日はこれくらいにいたします。

まあ、そういうことで私も一歩一歩やっておりまして、派手なことは嫌いです。野田総理がドジョウの如くといいましたが、私も今までドジョウの如くやってきました。これからも相変わらずドジョウの如くやるつもりです。橋本市の皆さんにも、特に市を代表する議員の皆さんには、是非今一度、岡潔に感心を持って頂いて、ご協力の程をお願いしたいと存じます。ここで時間と思いますので、終りにさせて頂きます。どうも本日は本当にありがとうございました。(拍手)


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