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2013.06.15up

岡潔講演録(6)


「歌で読みとく日本歴史」
第2部 「神代(かみよ)の文化」
「昭和への遺書」岡潔著

【6】武士道

 世はついに乱れて武士が出て来る。そうして実朝の歌が 出る。

  箱根路をわが越え来れば伊豆の海や
  沖の小島に波の寄る見ゆ

  荒海の磯もとどろに寄る波の
  破れて砕けてさけて散るかも

 うまい歌であるが調子はもはや弱々しくなって神代調の 雄大さ雄勁さは全くない。日本国の基盤はすっかり弱くなってしまったのである。何よりも仏 教がわるい。

 それから国が大いに乱れて、英雄は日本ではこういう時 にしか出てこない。それがしずまって、芭蕉の俳句が出るのであるが、芭蕉は俳諧は万葉の心 なりと言っているけれども、雄大で雄勁な神代調はそこには見られない。それは、神代調の歌 はじかに智(知、情、意と分かれる前の心の姿)をよんだのに反し、芭蕉は専ら情緒をよんだ からであって、雄大とか雄勁とかいう要素は情緒の世界にはないからである。だから万葉の心 なりと言ったのであろう。

(※解説8)

 日本の古典といえば「現氏物語」を先ず挙げる人がい る。しかし、岡はそれほど評価しない。それと同じように日本の心というと「武士道」を挙げ る人がいるが、これもまた岡の評価はそれほど高くない。それは何故かいうといろいろある が、主に人の本質は「情」であるのに、武士道の人達は「意志」的なものが強すぎるからでは ないだろうか。だから岡は武士道の人達は日本民族の中核ではなく、準中核の人々だといって いる。

 太平洋戦争で勇敢に戦った人々は、主にこの人達であっ たとのことである。しかし、今日の日本が辛うじてあるのは、この人達のお陰であることを 我々は決して忘れてはならない。

 猶、「英雄は日本ではこういう時にしか出てこない」の「英雄」とは無論、信長、秀吉、家康のことである。その概略は復刻版「日本民族の危機」岡潔著に出 ているし、詳しくは「日本民族」岡潔著(1968年)に出ている。

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