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 2012.12.12 up

岡潔講演録(4)


「自然科学は間違っている」(1) 岡潔著

【 2】 自然科学者の時間空間

自然科学者は自然というものをどういうものだと考えているかということを代りに言ってやって、そして、それを検討するより仕方がない。

自然科学者は初めに時間、空間というものがあると思っています。絵を描く時、初めに画用紙があるようなものです。そう思ってます。時間、空間とはどういうものかと少しも考えてはいない。これ、空間の方はまだ良いんですが、わかりますから。時間の方はわかりませんから。

時間というものを表わそうと思うと、人は何時も運動を使います。で、直接わかるものではない。運動は時間に比例して起こると決めてかかって、そういう時間というものがあると決めてかかって、そして、時間というものはわかると思っています。空間とは大分違う。

人は時間の中なんかに住んでやしない。時の中に住んでいる。

時には現在、過去、未来があります。各々、全く性質が違うんです。それ以外、いろいろありますが、時について一番深く考えたのは道元禅師です。

が、その時の属性のうちに、時の過去のうちには「時は過ぎ行く」という属性がある。その一つの性質を取り出して、そうして観念化したものが時間です。非常に問題になる。

が、まあよろしい。ともかく初めに時間、空間というものがある、その中に物質というものがあると、こう思っています。

(※ 解説2)

「時間には人は何時も運動を使います」とはどういう意味でしょうか。それは空間(の中の万象)は目で見えるから直下にわかりますが、時間そのものは目では見えませんから、空間の変化や運動から時間を読み取るという意味です。

太陽や月が大空を移動したり時針の針がぐるぐる回るのは、時間そのものではなく、空間の変化や運動から時間を読み取っているに過ぎません。しかし、我々は長い間の習慣から、それを時間だと思い違いしていると岡はいうのです。

そうすると、いわゆる「時間」には2種類あって、自然科学者が対象とする第1の心の世界の計量することができる「時間」というものと、「過去、現在、未来」という第2の心の世界の「時」とがあるのです。前者が相対時間を説いたニュートンから絶対時間を説いたアインシュタインまでが問題にした「時間」というものであり、後者がベルグゾンが不思議がり、道元や岡潔が指摘した「時」というものです。そして本当は、人は「時間」の中にではなく、「時」の中に住んでいるのだと岡はいうのです。

また、岡によると時間空間というものは、人が生まれる前から既にあるものではなく、人が生まれてから後にその人の心の中に次第にできていくものである。自然科学者はそこのところを見る目が全くないから、「自然科学者は時間空間とはどういうものかと少しも考えてはいない」と岡にいわれるのです。

人は生まれて3年目に時間空間の観念ができ、4年目には感情意欲の主体としての自分を意識するようになる。ここに至ってはじめて西洋心理学でいう「自我」が生まれたのだと、岡はいうのです。そして自然科学という学問は、その「自我」の目で見た世界観の産物以外の何者でもないのです。

最後に一言。「時間空間とは初めに画用紙があるようなものです」とは、うまい表現ですね。私の印象に強く残っている言葉です。

自らの世界観を伝えるために、如何に苦心したか。岡のこのような比喩は絶妙という外ありませんね。

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