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2014.03.07up

岡潔講演録(10)


「民族の危機」

【2】戦後消えた愛国心 (心の安定と生きがいをもて)

昭和44年(1969)1月 - 2月

大阪新聞

 人類進化の現状は、口ではいろいろりっぱそうなことをいうが、実際は一つも行なえないのであって、つまりまだまだ非常に野蛮(やばん)なのである。それで世界の各民族は生きていくために、みんな国をつくっている。そうしなければ生きていけないというのが現状である。

 国をつくり続けていようと思えば、国を結束する力を働かせ続けなければならない。これが愛国心である。いま世界で愛国をいわない国は、終戦後の日本だけであろう。

 終戦後の日本は、愛国ということばを禁句のようにいわなくなった。これで国の結束が保っていけるものと、朝野共に思っていたらしい。もし国という防壁が破れたならば、個人の自由も幸福もないものだということを忘れていたらしい。

 その結果、大学生という地域で、国という結束がすっかりばらばらになってしまったのである。

 終戦まで日本は愛国ということをしきりにいった。しかし終戦直後に諸外国から、愛国とは全体主義か、でなければ偏執狂だといわれた。実際そのころになれば、そんな不純物もまじっていたにはいたのである。それでみんなが、そうかと思って愛国といわなくなってしまったものらしい。

 しかし、真の愛国とはそんなものではないのである。無心に遊ぶこどもたちを見ては、よしこのこどもたちのためにも、身を犠牲にしても国という防壁を固めよう。そう思うのが真の愛国である。真の愛国は、心臓の柔らかな人たちだけに許された特権なのである。真に国を愛していれば、人は心が安定し、生きがいを感じる。

 そうした広瀬中佐を見て、ロシアの娘さんが、これこそ人の本当の生き方だと、深く中佐を思慕するようになったと、司馬遼太郎さんは書いている。

(※解説2)

 岡は「愛国」を叫び、「日本の心を思い出せ!」ともいったのであるが、それを当時の人々は偏狭な「国粋主義」や「民族主義」と取ったようである。こういった時、我々日本人は必ず「ナチス」や「ファシズム」を連想する。しかし、あれこそが偏狭な「民族主義」そのものである。その辺に私は岡本人の思惑との、非常に大きなギャップを感じるのである。

 日本人は自分の長所を明からさまに公言できる人は少ない。「第2の心」の「謙譲の美徳」が社会全体に染み渡っているからである。

 この「謙譲の美徳」を伝統的に、いつまでも保持することは大切なことである。しかし一方、他とは明らかに違った自分の長所があるとすれば、それにいつまでも目をふさいでいて、それで本当に良いのだろうか。

 岡は後々、人類の普遍的な心の構造を解明し、「日本の心」とは「第10識(真情の世界)」であることを発見するのだが、我々日本人がそのことに気づくべき人類の今の非常時点において、いつまでも目を開こうとしないのは更に無責任ではないだろうか。岡の叫んだ「愛国」とはそういう意味の「愛国」なのである。

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