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2014.11.15up

岡潔講演録(12)


「人類自滅の危機」

【8】 ミロのビーナス

 それについて、東洋と西洋との違いということを考えてみる。そこに起因するのが非常に多いんです ところが東洋と西洋については、芥川はこういってる。

 「ギリシャは東洋の永遠の敵である。しかし、またしても心が引かれる」他の言葉みな分かるんだが、その「敵」という言葉が分かりにくい。それは僕、フランスに居て、ルーブルの博物館へ行って、ミロのビーナスを繰り返し繰り返し見た。が、いくら見ても、あれは日本人である僕には金輪際分からん 理解の外です。もう、如何とも評し様がない。

 大抵の日本人はそんな時腹立てて悪く言う。あの顔は冷厳という顔。冷は冷たい、厳は厳めしい。僕はしかし、そうまで言います。何とも分からん。冷厳という顔が愛の女神ちゅうのは、もう全然分からんのです これもしかし、後で少し分かって来ました。こんな難しい問題、仮に嘘でも聞くだけの値打ちある。嘘じゃありませんよ。

(※解説8)

 ここも岡が「無明の画家」と評するピカソや、じっと見ていると「何だか寂しくなってくる」というセザンヌの風景画等と共通するところである。

 ミロのビーナスというと今でもギリシャ芸術の最高傑作といわれ、日本で展覧会でもあれば長い行列ができることだろう。しかし、若かりし日の岡の直感は誠に鋭い。

 ギリシャ神話を貫く思想は「力の強い者が神である」という考え方であると岡はいう。その神話を読んでみても、神々がお互いを平気で痛めつけ殺しあっても、相手の痛みを感じるというセンスが丸でない。これをショーペンハウエルは「意志の世界」といったのだろう。

 これが芸術の世界に現れた西洋の世界観であって、ピカソの生きようとする盲目的意志である「無明」といい、自然から一人孤立するセザンヌの「寂しさ」といい、「人を威圧するような」と岡のいうミロのビーナスの「冷厳さ」といい、全て「第1の心」の特徴が現れているのである。しかしながらそうはいっても、それらは確かに偉大なる芸術であることに違いはないのだが。

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