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2014.11.15up

岡潔講演録(12)


「人類自滅の危機」

【1】 念と大脳生理

 ところで、その時、頭頂葉へ行く道に2つある。「俺が俺が」っていうとこにいると前頭葉、ここです。で、頭頂葉へ行こうと思ったら、これから側頭葉へ行って、側頭葉は2つあります、どっち回るか分からん。側頭葉へ行って、それから後頭葉を通って、頭頂葉へ行く。この行き方と、これ後ろ回りして行くんです。

 もう1つは「俺が俺が」っていうとこ、ここから、どうせ出発点これです。ここから真直ぐ上がって、そうすると運動領っていう所へ行く。それを通って頭頂葉へ行くんですが、これは前回りです。2通りある。

 東洋的色彩は後ろ回りであることから来る。西洋的色彩は前回りであることから来る。それで僕はどうせ日本人だから、頭頂葉へ達してるのは生まれた時既にだから、こんなん後ろ回りだったに決まっている。憶えてやしませんけど、生まれる前のことだから。

 で、頭頂葉に達してなかったら、こんな話しようなどと思わないんです。達してたら、そこへ達してたら、大円鏡智という無差別智が働く。それで、こんな事できるんです。それを本当に働かせながらいってみようとして、それで灰皿欲しいといったんです。

(※解説1)

 この「念と大脳生理」については講演録(7)の中の【12】「秋が来ると紅葉」のところでも触れたのだが、この仮説は岡の思考が佳境に入ってくる1969年頃の中心テーマであって、東洋と西洋の違いを大脳生理によって説明するという、今までだれも試みたことのない非常に大胆でユニークな仮説となっている。

 岡によればこのことによって、東西文明は「心の構造」ばかりではなく「大脳生理」までもが違ってくるという、今までの常識とはかけ離れた結論となってくるのである。

 そうすると西洋が浅い「第1の心」の世界観の中で、物理的医学実験のみによって調べた現在のいわゆる「脳科学」は、人と大脳の本質をほとんど物語ってはいないということになってくるのであるが、果たして我々はそれを受け入れることができるだろうか。

 少なくとも私には、今の「脳科学」のいうところをいくら聞いても、枝葉末節な研究成果ばかりが目について、「岡の大脳生理」のように人と大脳の総合像は丸で見えてこないのである。

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