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 2013.03.12 up

岡潔講演録(5)


「人とは何かの発見」 岡潔著

【 9】 野球と原稿

 まあ野球なら野球ですが、練習すれば上達すると思っている。練習すれば何故上達するのか、練習するのは人であって、上達、これはするのではなく、させてもらっているんでしょう。する事も有ればしない事も有る。練習すれば必ず上達するとはいかんでしょう。で、云える事は、練習しなかったら上達しないと云う事だけでしょう。

 勉強すれば偉くなると云うのだってそうです。勉強すれば偉くなるとは限らない。勉強しなかったら偉くならないと云うだけです。偉くなる方はどうして偉くなるのか分らないし、偶然偉くなっているんです。そうなってるんです。偉いって一体何がどうなったことか分らないのですけれどね。

 例えば原稿を書いてみると、読んでみると、うまく書けてたりするから偉くなったと云ってるんだけど、その原稿は一体自分が書いているのか造化が書いてくれているのか分りやしません。

 読み直して直す段になって、これは自分がやっているんだと云える。「あなたは何故こうお書きになったのか」と聞かれても答えられやしません。「あなたはどうして、ここをこうお直しになったのか」と聞かれたらこれは答えられる。その辺からハッキリ自分です。

(※ 解説11)

 野球でホームランを打つのも、自分の納得する原稿を書くのも、共に「集中力」の成せる業であることは間違いないだろう。私が岡先生と奈良のご自宅で対面した時、実はその先生の「集中力」を如実に見せてもらったのである。

 私が「折角来たので、何かサインでもしてほしい」と先生に注文すると、先生はやおら目をつむり精神集中に入ったのである。そうすると次第に先生の体が右へ左へと傾きはじめ、このままでは倒れるのではないかと心配するほど激しく揺れだしたのである。そして、少し間をおいて目をおもむろに開け、

 「山暮るる 野は冬枯の 涯もなく 岡潔」

と書いてくれたのである。

 私はこれが世界最高の精神集中かと感動した。岡先生の肉体は私の眼前にあるが、先生の心はどこか別次元に確かに行っているのである。岡は深く考える時、外界の自然があるなどとは思わないし、自分の肉体があるなどとは更に思わないといっていますが、正にその事実を私の眼前にまざまざと見せてくれたのである。

 その感動は今も色あせない。岡がいつも深く考える時、フトンに寝そべって考えるというのは、こういう理由からなのである。

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