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2017.11.09up

岡潔講演録(28)


「真我への目覚め」

【20】生命とは真我

 生命について、少しお話ししますと、生命とは真我が生きていることです。これは死なない。死なないから生命です。その根本は共通の心です。普通、単細胞などという生物は、ひとひらの心の上に一粒の細胞が乗っている。人の場合は数多くの細胞が、ひとひらの心の上に乗っている。

 だから、心(真我という生命)がよく働かなくなると、肉体の個々の細胞の生き方が調和を乱してしまう。だから、肉体は達者でも真の生命である真我が健全でないというような生き方をしていると、40を過ぎたら、何時癌になるかわからない、そんなことになってしまう。

 肉体だけがどんなに良くても駄目、肉体は生命じゃない、生かされているのです。死なないのが生命、その生命は共通の心という源泉から来ています。だから、人は、真我が生きていて、活き活きする。血色が良いばかりが活き活きするのではない。本当に活き活きするのです。真我が生命、それによって、人の細胞は生かされているものです。

 だから、この真の生命が弱くなると、肉体に支障が起こってくる。医者はそんなこと知りません。あれは自然科学だから、いくら調べても癌の原因もわかりはしない。たとえ、わかったにしても治すことはできない。あれは、真の生命、真我が健全であれば決してかからぬ病気です。リズムが乱れる。で、勝手勝手の細胞の生き方になってしまうのです。

(※解説20)

 今までは小我の「知情意」とはどういうものかを岡は説明してきたのだが、それは前項で終り、いよいよ本題の真我の「知情意」の説明に入っていくのである。しかし、その前に総じて「真我とは何か」をここでは語っているのである。

 我々は今、西洋の影響を受けて小我(肉体)が自分だという世界観の中に住んでいるのであるが、岡はここで仏教の世界観をかりて、この肉体は五感ではわからないが、いわゆる宇宙生命体によって生かされている。それが「真我」であり「不一不ニ」の共通の心というのである。だから人は自分で生きるのではない、如何にうまく「生かされるか」が問題であるという。

 さて、ここでもガンの話が出てきたのだが、これは私には今でも難しい問題である。しかし岡は「真我が健全であれば決してかからぬ病気です」と断言する。多くの実例から物質に原因を求める現代医学でさえ、次第にこの方向に向きを変えているのではないだろうか。

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