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2017.11.09up

岡潔講演録(28)


「真我への目覚め」

【10】 非自非他

 これが、不滅であるとわかるとガラリと変わります。しかし、これはそうは言っても、なかなか思いにくい。それで、普通、空間の方から説明するのです。空間的に、人はやはり限りなく広がって行く。その広がり方はというと、普通、人が自分だと思っているものは真我の自分、普通、人が他人だと思っているものは、真我の非自非他だという。己に非ず他に非ずです。

 どういう点で非自非他かというと、個性というのは、真我のもので、人、一人一人が個性を持っている。だから、別々で、この点からいえば、非自、自分ではないということなのです。しかし、他人が喜び、他人が幸せそうにしているのをみると、自分が幸せなのと同じ心の喜びを感じるのが、人、本然の姿です。そうでないというのは、心に濁りがあるからです。大体、こんなふうで、他人は非自非他なのです。

 又、普通、自然と思っているものは何か。これも、非自非他です。自分というのではないが縁もゆかりもない物質というわけでもない。つまり、非自非他。こう悟ることを、真我といいます。真我を自分と悟るとその人はどんなふうかというと、人が悲しんでいるのを見ると、自分の肉体が引きちぎられるように感じるという。

(※解説10)

 前項では真我を時間的にみて「不生不滅」といったのだが、ここではその真我を空間的にみて「非自非他」というのである。

 西洋は物質主義だから目に見える肉体を自分と思うから、人と人とは自他対立する。しかし、東洋では目にはみえない「不一不ニ」の心を自分と思うから、肉体は自他対立するが人と人とは共通の心(真我)でつながっているというのである。

 自然に対しても同様で、人は自然から日々空気や水や食物を取り入れ、またそれらを排泄して生存している。だから例えば「人の絵を描いてみろ」といわれたら、人の肉体だけではなく全宇宙から描くより仕方がないではないか。だから人と自然とはやはり「非自非他」ということが理論上いえるのであって、古来仏教はそういう世界観を持っていたのである。

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