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2017.07.19up

岡潔講演録(27)


「情の構造」

【16】日本歴史の上代

 こんなもの、日本へ持ち込んだのは孔子です。それから念入りに育てたのは仏教。こういうおかしな色に長くかかって染めたの、取ってしまわないと、日本歴史どこをみてもうまくいかんのは、こんなのを持ち込んだからです。じゃあそれ以前、上代はうまくいっていたんだって僕云うんだけど、証拠を見せって云われると、そんなもの見せられやしない。(笑) 無理なこと云うなって云わなきゃしょうがない。(笑)

 堯、舜の時のように文字があったら書いてあるんでしょうけど、文字がない云い伝えだから、おかしなことだけ云い伝えてある。あんなん、日本武尊とか、あんなもん、ちっとも云い伝えなくてもよかったんですよ。どんなふうに住んでいたかってことがわかりゃいいんだけど、ちっともなんとも云っていない。

 今の日本人から逆に、こんなふうだったろうと伺うことは出来ますが、それを話すと時間がかかるから・・・。こういう日本人もいる、こういう日本人もいる、と推して思うのなら、上代はこんなふうだと云えんこともないんだけど。ともかく、懐かしさと喜びの世界に住んでいたんだと思う、上代は。

 それ以後、その俤がかすかに残っているのは仁徳天皇の時ですが、あれはまだ弊害を持ち込んでから日が浅くて、あまり出てないんでしょう。しかし人の誉め方をみたら、人よんで「聖の世」とよんだと、この誉め方気に入りませんね。いろいろ王道政治のあの例この例を政治にあらわしたんでしょう。そういうことはあまり感心することじゃない。1つにとけ込んだ、ただ懐かしさと喜びの世界にする。

(※解説16)

 「上代」というと岡によれば5世紀頃、大陸から文化が入ってきた応神天皇以前ということになるのだが、大体弥生、縄文時代に当たるのだろう。

 300年の鎖国をした江戸時代に「日本の心」が形成されたと見る見方もあるのだが、岡によれば応神天皇以後大陸から入ってきた文化と、それ以前からある「日本の心」とが長い年月をかけて融合し花開いたのが「江戸の文化」といえるのであって、決して純粋な「日本の心」そのものではないのである。

 やはり岡は応神天皇以前にまで遡らなければ純粋な「日本の心」ではないと見ているのである。我々は文字に残っているこの約2000年の歴史を考えるのだが、岡は深層の心は万年単位でないと変わらないとの見方であるから、第9識(知の文化)である中国とたもとを別かった10万年程前から縄文時代までに第10識「真情」、つまり純粋な「日本の心」が形成されたと見るのである。

 ではなぜ10万年か。その根拠は胡蘭成が岡に教えた中国の伝説に「天皇氏時代12万年、地皇氏時代9万年、人皇氏時代7万年、伝説時代以降1万数千年」とあり、この人皇氏時代以降の8万数千年がこの10万年に符合するのではないかと思うのである。

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