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2017.07.19up

岡潔講演録(27)


「情の構造」

【1】 真情 (童心、第1期)

 日本人の目は心を見ることが出来る。西郷隆盛と勝海舟が江戸城明け渡しの時、だいたいは黙って対座していたんだと思う。言葉は少しだったと思う。相手の心が見えるからです。だから、赤ん坊が生い立っていくでしょう。この心を見ればよい。赤ん坊の生い立ちを見るんです、人の心がどういう構造になっているか知りたいんだったら。これが一番良い方法です。自分の心を自分の目で見たんではなかなかわからない。仏教はその見方で見たらしいんです。

 私、だからそれをやりたいなあと思った。思ったのは10年くらい前です。しかし実際にしょうと思ったら、自分と同じ家に1人絶えず赤ん坊が居てくれなきゃ、連続的に見るということは出来ない。私の孫は上3人はそうじゃなかったんだが、4番目の孫は生まれた時からだいたい私と同じ家にいる。今だいたい3ヵ年。だからこれを連続的に見るということが出来るようになった。今から3年ぐらい前ですね。7年間その機会を得なかったことになる。見ようにも無いんだから仕方がない。そうして生い立ちを見たんですが、だいたいこんなふうに生い立っていく。

 生後3ヵ月ぐらいは懐かしさと喜びの世界に住んでいる。どんなふうかというと、外界は見るもの聞くものみな懐かしい。人を見れば人懐かしく、天井を見れば天井懐かしく、音楽を聞けば音楽が懐かしい。この懐かしさという土地の上に住んでいる。そうすると、一切のことはみな喜びらしい。時々喜びがほとばしり出る。懐かしさという土地から喜びという泉がほとばしり出るような、そういう世界に住んでいる。

 懐かしさと喜びの世界、これが純粋な情、真情です。真情の中に住んでいる。「真情」と書いて「こころ」と読ませればよいと思いますが、真というのは濁りをみな取ってしまったという意味です。

(※解説1)

 先にいったようにこの「情の構造」がその中に含まれる「基礎的知識を考える」では、岡は最終的ともいえる自然科学批判を詳細に展開しているのだが、その解説についてはまたの機会にゆずりたいと思う。ここでは私は「心の構造」にのみ焦点を当てたいからである。

 さて、そこで岡はいきなり発見したばかりの「真情」を持ち出してきているのだが、心の深さをさぐるためにはそれが鉱脈として地表に現れてきているところ、つまり人でいえば「童心の季節」を調べる以外に方法はないと岡は考えているのである。

 そのことに岡が気づきはじめたのはこれより10年程前で、その機会をなかなか得なかったのであるが、1969年7月にやっと生まれてきたのが4番目の孫「始」だったのである。岡はその「始」の生い立ちを詳細に観察することによって、長く停滞していた「心の世界」の解明が急速に進んだのである。

 岡はそのことをある録音の中でこう証言している。「この真情があるということは、わたしの4番目の孫を連続的に観察しましたからわかりましたが、それなしにはわからなかった」と。

 心の最奥底に「真情」があるということは、解説(22)講義録第16などで触れた数学研究の方面や、「日本の心」の解明から相当わかってきてはいたのだが、最後の決め手はこの孫の「始」だったのである。「始」はこれ以上ないという絶妙のタイミングで生まれてきたのであって、これはまさしく「天の配剤」という外はない。

 猶、「自分の心を自分の目で見たんではなかなかわからない。仏教はその見方で見たらしいんです」と岡はいっているが、ここは非常に大事なところである。なんだかこのことは達磨大師の面壁9年を連想する。

 赤子の心を観察して「心の構造」を客観的に調べるというやり方は、これも人類の中では岡潔が初めてであって、誠に「科学的」手法であるといわざるを得ないのである。参照(10)「民族の危機」(13)「麦を育てるように」

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