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2017.05.02up

岡潔講演録(26)


「情の世界」

【17】 大宇宙の本体は情

 真情は頭頂葉に発して後頭葉を経て、次は前頭葉へ出るというふうです。ここ(後頭葉)で遮断してしまう。真情の働きが意識に現われないんですね。

 情の中には時間も空間もない。情というのは1つの分かつべからざる全体。情は無量の部分を持っている。部分と云いましても、やはり分かつべからざる全体。そういうものを無量に持っている。これが情の内容です。その部分を情緒と云う。先程云いました通り、2つの情は重ね合わすことが出来る。まあ、これが情です。

 情の中には時間も空間もない。ところで、素粒子が忙しく運んでいるもの、バケツで水を運ぶように。その水に相当するものは情だと思う。で、大宇宙の実体は情だと思う。

 ところで、情の中には空間がない。そうすると、空間のあるところへ影を映してみると、所としてあらざるなしということになると思う。それで各々の人の頭頂葉の中心が大宇宙の中心だと思う。これから絶えず情が湧き出てくる。全体に配られているんだと思います。これが生きているということだと思います。

 その情というものを釈尊が知らなかったんだから、たいしてよくわかってない。知だと云っている。「心はなおし金剛の如く()すべからず」と釈尊云ってますが、知だと思っているから。そうすると固体の感じがする。情と云えば液体の感じがする。液体だから境がない。大宇宙つくして自分です。

(※解説17)

 ここは「情の民族」である日本人には「成程」と思うところではないだろうか。我々は自然から「情緒」を感じているのである。「風情」といえばもっとわかりやすい。これほど「情緒」を感じる民族が地球上ほかにあるだろうか。

 そのメカニズムは岡がいうように「各々の人の頭頂葉の中心が大宇宙の中心、これから絶えず情が湧き出てくる」そして「情といえば液体、液体だから境がない。大宇宙つくして自分です」という結論になるのである。

 そういうことで我々は「物質」としての自然ではなく、「情緒」としての自然に包まれているのである。だからその「情緒」を和歌や俳句に詠むこともできるし、人の本質も「情」であるから例えば、今は亡き人の面影を自然の風物に重ね合わすこともできるのである。亡き人が風になったり、星になったり、花になったり、蝶になったり、ホタルになったりするのである。

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