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2017.05.02up

岡潔講演録(26)


「情の世界」

【16】認識と観念

 仏教で四智(しち)(4つの智力)と云いますが、あれはみな人の真情に働く。だから智力というよりは、情に4種類の働きがあると云った方がすっきりする。大円鏡智(だいえんきょうち)平等性智(びょうどうしょうち)妙観察智(みょうかんざっち)成所作智(じょうしょさち)、みな真情に働く智力。つまり、真情にそういう働きがある。

 見るとわかるという働き、情あるが故にわかるんです。それが前頭葉じゃ働かない。だから馬鹿かと思うくらい、例えば自然科学は何を云っているかということ、欧米人にはわからない。日本人も今は前頭葉ばかり使っているからわかりゃしない。

 何んか観念的にざっとみてしまって、言葉だけでわかったような気がするんですが、よくみればちっともわかってやしない。見極めるということ、認識するということ、情の目できちきち見るということです。

 観念してしまって、言葉だけ云えばわかったような気がする。大脳前頭葉はそんなことしか出来ない。大脳前頭葉が恐ろしいのです。それを抑えるどころか、みな認めている。これはみな抑えなきゃいけない。

 連合赤軍のようなものが出たら、何故だろう、何故だろうと云っている。あの連中は情がよく働かない。それから、何んでもみな自己中心にやる。あの自己中心の努力というのが、自我をだんだん太らせる。

 永田洋子のはひどい自我の濁り。人を憎むとか、そういうのもかなりあったようです。森(恒夫)の方は、あれはだいたい権勢欲。餓鬼道です。永田洋子はもう1つ上で、地獄道かもしれない。あれ、だんだん殺しちゃって最後に1人残るとすれば、永田洋子が残ったかもしれない。あれは悪では一格上なんです。餓鬼道よりも地獄道の方が上なんです。

 ともかく、自分が偉くなろうとして努力するなんていうのが、そういうのを培こうたんです。2人とも情がよく働かなかったらしい。情の目でみるというのが下手だったらしい。そして自我が非常に強かったらしい。それだけでたっぷりいけないんだけど今の教育はそんなことを奨励している。国の細やかな情緒を教えるなどということを止めて、理科ばかり教えている。情は働かなくなります。

 ともかく、言葉で云うと割合ながくかかって困るんですが、ごく短かく云えそうなことなんですけどそこを完全に間違えている。

(※解説16)

 ここでは「認識」する力を、西洋の「理性」ばかりでなく、東洋の「知」の特徴である「観念」の一格上においている。「情の目」できちきち見るのを「認識」と岡はいうのだが、これはまさしくこの「情の世界」の中で岡が実地に使ってみせてくれている目である。

 西洋の前頭葉(理性)の目は物事を徹底して精密に見るのはよいのだが、その反面唯物主義だから、物事を表面的に自他対立して見る傾向がある。しかし、「情の目」は自分が対象的になりきることによって対象物を知るという、非常に柔軟できめこまかく洞察力のある目のことである。

 岡が若かりし頃、フランスへ留学して初めて数学のために芭蕉を研究しようと思い立ったのは、実はこの「情の目」を養うためだったのである。

 それは西洋の「理性」の上をいく認識力を手に入れることであり、世界の数学者を驚嘆せしめた一連の数学研究には欠くことのできないものだったのである。

 そもそも東洋は古来、「第2の心」が基本だから西洋に比べて世界観が深いことは深いのだが、「知」を重視するあまり「観念的」になり形式主義、権威主義に陥りやすいのである。つまり、釈尊や孔子の言葉をみずから確かめることなく、そのまま後生大事に頂きたてまつるのである。

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