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2017.05.02up

岡潔講演録(26)


「情の世界」

【5】 禅師と母親

 お母さんと子供があった。明治初年の話です。子供が13歳になって、禅を修行したいと云いだした。それで、修行のために子供は家を出ることになった。

 その別れの時に、母は子に向かってこう云った。お前が修行がうまくいって、人にちやほやされている間は私のことなんか忘れてしまってよろしい。しかし、もし修行がうまくいかなくなって、人に後指を指されるようになったら、私のことを思い出して帰って来ておくれ。私はお前を待っているから。こう云って別かれた。

 それから30年たって、子供は修行がうまくいって偉い禅師になった。松島の霊厳寺という寺の住職をしていた。その時郷里から知らせがあって、お母さんは年をとってこの頃では寝たきりである。お母さんは何んとも云われないが、私達がお母さんの心をくんでお知らせすると、そう云ってきた。

 それで禅師はとるものもとりあえず家に帰って、寝ているお母さんの枕辺に坐った。そうすると、母は子の顔を見て、こう云った。この30年、私はお前に一度も便りをしなかった。しかし、お前のことを思わなかった日は1日もなかったんだよ。

 これが情です。私はこの話を初めて聞いた時、涙が流れて止まらなかった。これが情というものです。

(※解説5)

 これはある有名な禅師とその母親の話であるが、これよりも6年前の岡の著書「月影」の中の「日本民族列伝」に既にこの話はでてきている。

 そこでは日本民族を7群に分け、第1群には岡が再三取りあげる応神天皇の皇子である菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)と聖徳太子という、日本歴史上第1級の人が出てくるのだが、何とこの禅師の母親もそこに名を連ねているのである。

 さて、この禅師のことは余りはっきりとはしないのだが、「月影」ではこことは違い「仙台近くの碧厳寺の住持」と岡は書いている。講談社が注のために調べたところによると、「永平寺67世貫首(かんじゅ)、北野元峰師」ということである。

 いずれにしても岡はこの母親の「この30年、私はお前に一度も便りをしなかった。しかし、お前のことを思わなかった日は1日もなかったのだよ」という言葉に並々ならぬ感銘を受けたことは確かなようである。

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