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2017.05.02up

岡潔講演録(26)


「情の世界」

【3】 世界の各地で違う自分

 人が何を自分と思っているかということですが、何を自分と思っているかは、世界の各地で違っているらしい。

 日本ではどうかというと、「情」を自分だと思っているらしい。知・情・意の情です。日本人はみなそうだと思う。無意識的にですが。

 情がこう思う。知や意がそれと違うことを思う。その時、ある場合は、人は知や意の云うところに従う。その時はつらい思いをするでしょう。ある時は、人は知や意がどう思おうと無視してしまって、情の思う通りに行為しようと思うでしょう。まずこうです。

 それから、幸福という言葉をよく使いますが、幸福を幸福と感じる主体は何んであるか。これは明白に「情」です。知や意が幸福と思うんじゃない。情が幸福と思うんです。

 また、人が人本然の情の命ずるところに従っておれば、自ずから道徳にかなっていますね。道徳とは何かと云えば、人本然の情の命に従うことです。その他どこからみても、日本人なら自分とは情だと云えばわかります。

 ところが、そう思っているのは日本人だけらしい。東洋人は知・情・意と続く心、この心を自分だと思っているらしい。中国でも知が大事だと云う。仏教でも知が大事だと云う。

 本当は情が働かなきゃ知が働きませんし、でなかったら明確な意志の働きようがない。情が根本なんです。心のその働きをはっきりみることが出来ないらしい。

(※解説3)

 自然科学批判は前項で終って、岡は早速「心の世界」の解明に歩を進めているのだが、この時期のものはほとんど全てこの手順を踏んでいる。これはまるでお得意の数学の証明そのものである。

 扱っているのは「心の世界」なのだが、その手法は全く数学的である。数学者だからこそ、これほど精密に理路整然と「心の世界」が解明されたといってもよいのである。

 これは裏を返せば西洋文明のお手柄といってもよく、20世紀に滅亡の危機を迎えたのも西洋文明に起因するとすれば、一方で人類が「心の世界」の大変革をとげ21世紀以降存続する可能性が出てきたのも、西洋の売物である大脳前頭葉のお陰なのである。つまり、20世紀は西洋の大脳前頭葉の「功と罪」がともに現れた時代だったのである。

 ともかく我々は「心の世界」を説く岡の証明に、これから着いていってみることにする。

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