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2017.03.13up

岡潔講演録(25)


「情を語る」

【6】 大和魂とは真情

 日本において「忠」と云い「孝」と云う、みな情のことでしょう。で、横井庄一さんが20何年、28年かもしれない、グアム島のジャングルで暮しましたね。(※ 横井庄一さん S47・2・2日 グアム島から帰国)あれをさせたものは情ですね。明らかに情ですね。情だから生きられた。で、情とはそういう強いもの。

 それで、日本でよく大和魂と云う。大和魂と云ってるもの、これが大和魂だとはっきり云ってませんから、極端なものを指して大和魂と云ってますが、横井さんの持ってたものが大和魂だと云えば異論ないでしょう。そうすると大和魂とは真情のことです。大和魂、大和魂と云っていたが、とうとう大和魂って何かわかった。大和魂とは軍国主義の言葉じゃない。大和魂なくして真の幸福は有り得ない。日本はここで自覚すべきです。

(※解説6)

 ここは頭から凄い言葉が出てくる。「日本において『忠』といい『孝』という、みな情のことでしょう」とは正に目から鱗である。「忠」については「師弟の情」、「孝」については「親子の情」という言葉が日本にはある。

 本場中国では「忠」といっても「孝 」といっても、上位者絶対主義の傾向が強いのである。目上の者に無条件に従うのが「忠」であり、「孝」である。

 日本では上は下をいたわり下は上を慕うという、たとえ形式的な上下関係はあっても「情」でつながっていることが大前提となるのである。

 さて、横井庄一さんのことは私も鮮明に記憶があるが、戦後グアム島にひとり取り残されて、28年もジャングル生活をさせたその原動力は「真情」だと岡はいう。「大和魂」とは「意志と力」の思想からくる軍国主義の言葉ではないのである。

 それとは裏腹に、岡が涙が流れて止まらなかったという「禅師と母親」の話からもわかるように、「真情」のみが長く苦難に耐えうる力を備えているのである。

 だから軍国主義の犠牲の象徴のようにいわれる「神風特攻隊」の若者達の内面も、当然のことながら死への恐怖はあっただろうが、それに倍する止むに止まれぬ使命感と、お国の人々を思う柔和で暖かい「真情」から生まれたものなのである。

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