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2017.03.13up

岡潔講演録(25)


「情を語る」

【5】 西洋のソール(魂)

 西洋はどうかと云うと、表層意識の情というと大体感情ですが、時として意欲も情に入れていますが、大体感情ですが、こういう情は浅くて問題にならない。漱石の云う「情に棹させば流される」というのは表層意識の情のことです。それで西洋人は情のことをどう云っているかと云うと、ソール(魂)と云ってる。これが情です。で、悪魔に魂を取らりゃしないかと思ってびくびくしてる。すなわち西洋人にいたっては情を自分だと思っていない。こんなふうです。

 魂を悪魔に取らりゃせんかと思っているようだったら、その魂の(めい)に従うのが善だとどうしてわかるだろう。(情を)自分だと思わんのです。従って諸徳としてあげているものも、西洋人のは真の道徳じゃありません。

(※解説5)

 西洋のソール(魂)とは「情」のことである。西洋人は悪魔に魂を取られはしないかと思ってびくびくしている。岡はこういっているのだが、このことはゲーテの「ファウスト」の中に出てくる。ファウスト博士と悪魔のメフィストフェレスが取引をして、万一の時にはファウストの魂を奪うという約束を交わすのである。

 西洋人は「ドライ」だとよくいわれる。「イエス、ノー」がはっきりしているからである。「情」には「人は赤の他人とは思えない」という直観が働くのである。だから「ノー」であっても「ノー」といえないのが「情」である。だからこれも「西洋の個人主義は情を自分とは思っていない」という1つの証拠になるのではないか。

 猶、小さいことだが岡は「西洋は意欲も情に入れています」といっている。これは以前に私も触れた大脳生理学の「情動」という言葉から、岡も連想しているのではないかと推測する。講演録(17)「1969年の質疑応答」の(26)「本居宣長のあはれ」を参照。

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