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2016.11.07up

岡潔講演録(21)


「昭和46年度京都産業大学講義禄第16回」

【13】 寺田寅彦の「からすうりの花と蛾」

 大宇宙は一つの心なん。情だと云ってもよろしい。その情の二つの元素は、懐かしさと喜びなんです。春の野を見てごらんなさい。花が咲いて蝶が舞ってるでしょう。どうして蝶が花のあることがわかって、そこへ来て舞うんでしょうか。これ、蝶の場合にはそんなに不思議と思わないでしょうが、寺田先生に「からすうりの花と蛾」という随想があります。からすうりの花は夕方になってパッと咲く。そうすると、どこからともしらずに蛾が飛んで来てからすうりの花にたかる。一体蛾にどうしてからすうりの花が咲いたことがわかるのだろう。こう云って不思議がってる。

 これは不思議がるのが当然。これは心に心がわかる。情に情がわかる。情の世界には大小遠近彼此の別がない。だからどんなに離れたところでも、つまり遠隔作用なんかなんでもない。どんなに離れててもわかる。これを心に働く妙観察智だと云うんですね。

 わたしに揮毫してくれと云った人が最近あった。どういうことを書くかつて云うと、先生の本に「花の心に蝶は舞い、蝶の心に花は笑む」というのがある、あれを書いてくれって云う。それで書いたんですが、春の野を一口に云えば、花の心に蝶は舞い、蝶の心に花は笑む、こうなる。

 これは大宇宙には情というものがあるということです。情のあるところ、妙観察智が働くんですね。

 もう一つ、その人は、今日の先生のお話、非常に嬉しかった。そのお言葉の中に「人生は長夜の夢である」、これは仏教が云ってるんですが、こういう言葉がある、それを書いてくれって云ってました。それでその人は「花の心に蝶は舞い、蝶の心に花は笑む」というのと「人生は長夜の夢である」というのとを持って行ったわけですが。

(※解説13)

 寅彦の随筆集(岩波文庫)の第3巻の中の「からすうりの花と蛾」の章にこう書かれている。

 それにしても(蛾が)何町何番地のどこの家のどこの部分にからすうりの花が咲いているということを、前からちゃんと承知しており、またそこまでの通路をあらかじめすっかり研究しておいたかのように真一文字に飛んでくるのである。

 また同じ章にこうも書かれている。

樫鳥(かしどり)や山鳩や山鴫(やましぎ)のような鳥類が目にも止まらぬような急速度で錯雑した樹枝の間を縫うて飛んで行くのに、決して一枚の木の葉にも翼を触れるような事はない。

 流石に岡が日本最高の科学者だと評価する寅彦だけあって、目の付けどころは鋭い。しかし、寅彦は岡の説く「心の構造」や「無差別智」の世界観は持ち合わせていないため、時間空間の中で働く「理性」でのみ現象を捕らえようとしているようである。そのため、他の人にはできない問題提起はしているものの、岡のようにそれに回答を与えるところまでに至っていない。これが順々にしかわかっていかない「理性」というものの限界である。

 実際岡はそれに回答を与えて、この2つの事例は仏教でいうところの「妙観察智」という直感の働きだということだろう。この直感は五感も通さないし、意識も通さない。即座に結果がでるのである。こういう見方が真に生命現象を説明する「科学」、つまり岡のいう「人類の自覚時代の科学」になるのである。

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