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2016.11.07up

岡潔講演録(21)


「1971年度京都産業大学講義録第16回」

【11】 運動会の登竜門

 わたし達の頃になっても、当時の中学、と云ったら旧制中学ですが、出世主義を先生達は非常に鼓吹した。そして運動会の時のみんながはいって行く門、それを寄宿舎でこしらえたんですが、その門を『登竜門(とうりゅうもん)』と云う。登竜門と云ったら、出世ということを意味しますよ。つまり同じ色どりです。

 まあ、こんなことばかり云ったんですね。今に多分持ち越してるんじゃないかと思いますが、自分が偉くなろうと思って頑張るのは駄目です。やめなければ。わたし、自分が偉くなろうと思って数学を研究したんじゃありません。研究したくて研究したんです。やはり研究したくて研究する、偉くなろうと思って研究するんじゃない、そういうためには、さあ研究しようと思うとほのぼのと面白くなって来ると、これが要るのかもしれませんね。それ無しには偉くなろうとでも思わなきゃ頑張らないかもしれない。

 面白いからやる。やってる中に没入する。その時はなにくそとさえ思ってないでしょう。時々くたびれたり、あるいはいくらやってもわからんのに溜息が出るでしょう。その時はなにくそと思うでしょうね。それくらいのものなんです。

 大脳前頭葉はそう使うべきものであって『自我』で動かしちゃいけない。自我は抑えるべきもの。非常にそこが穢れて見えるでしょう、例えばアメリカの事件見てみましてもね。

(※解説11)

 この「出世主義」は今の時代に持ち越していると岡はいっているが、例えばどんなところに現れているのだろうか。

 先ず甲子園の高校野球。選手達は非常に礼儀正しい。試合はプロ野球でいわれるように「結果が全て」ではなく、勝ち負けよりも正々堂々といかに力を出しきって戦うかに重点がおかれている。流石に今はそれが怪しくなってきているが、これらは「第2の心」の価値観といってもよいと思う。

 しかし、一方で選手達は長年なにを目標として、厳しい練習に耐えてきたのか。それが「名誉心」、つまり「第2の心」からくる東洋型「出世主義」である。これは「勝てばよい」という「第1の心」からくる「力の思想」ではないと思う。

 では、いつ頃からこの「出世主義」はあったかというと、応神天皇(5世紀)の中国から文化を受け入れた頃からであると岡はいう。その後幾多の戦乱があったのだが、特に戦国時代に諸侯が国を別けて争ったその原動力は、国の権威(偉さ)を誰が握るかという、東洋型「出世主義」からではないだろうか。日本歴史を見てみると「力の思想」を嫌う日本人は、決して「力の思想」だけでは動いていないように見えるのである。

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