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2016.05.16up

岡潔講演録(18)


「創造の視座」

【20】 情緒と心眼

 この第2の心の内容は、頭頂葉にあるときは大円鏡智の形である。これは動かせない。しかし、心が流れて後頭葉に下りますと、ここは資料室といわれているくらい、ここには妙観察智が働いている。それで心の一滴一滴がその内容を無色の色にあらわす。で、無色の色のついた心の滴々の全体というような心になる。これが妙観察智態ですね。私はこれを情緒といってきた。

 情緒というのは、心の滴々がその内容を無色の色にあらわした心という意味です。これは後頭葉にあるわけで、こうなるとどんな細いところを通ってどこへでも送ることができる。それで視覚中枢は、この無色の色のついた心をまるで漏斗が水滴を集めるように集めて瞳へ送っている。それで孫は目でものをいうことができるようになった。この目を心眼というのですね。

 で、私も心眼で見るから、その孫の心を読みとることができる。かように心眼によって心をあらわすこともできる。また、あらわされた心を読みとることもできる。で、中国人は「君()ずや双眸(そうぼう)のいろ、語らざれば憂いなきに似たり」こういう詩を読んでいるんですね。この心眼によって見るから、日本人は春夏秋冬、晴曇雨風、千変万化の趣の変化のある自然を見ることが出来るんです。こういうものを見ることができるのはこれは肉眼で見ているのではなく、心眼で見ているのですね。また、この心眼で見るから俳句とか短歌とか、そういう短詩形によってよまれたーそれをよんだ人の心をよく読みとることができる。だから、日本では短歌とか俳句で十分なんですね。きわめて短詩形です。

 フランスにボードレールという詩人がいる。ある人が、先生は短詩形がお好きだということですが、どれくらいの長さが適当ですかとこうたずねた。そうするとボードレールは、100句ぐらいといった。で、西洋人には心眼が働いていないのですね。一番はっきりわかるのは、後頭葉で情緒の形に変えたものを視覚中枢で集めて瞳に送っているということですが、そのほか情緒の形に変えれば、どこへでも送れる。それで、体全体へ送っている。その最もおもな輸送の経路は、情緒の中心へ情緒を集めて、これを交感神経系、副交感神経系で体全体へ送っているらしい。こういうことがわかってきた。

(※解説20)

 たとえ嘘でもかまわないが、こんなことを正面きって説明しようと試みた人など、いまだかっていなかったに違いない。正にこれが「心眼」という生命現象のメカニズムである。

 この「心眼」で見るから、日本の繊細優美な自然の趣きの豊かさと変化を読み取ることができるばかりではなく、その微けき感動を西洋とは比較にならない短詩型の和歌や俳句に詠むことができるのである。

 この「情緒」をボードレールのいうように100句も使って詠んだのでは、余りにも「説明的」になり過ぎて、微けき詩の感動は伝わらない。「説明」は時間空間のある「前頭葉」を使うのである。

 さて、我々日本人は「目でものをいう」という行為に、人というものの得もいわれぬ奥深さと豊かさを感じるのであるが、そのメカニズムをこれほど明確にしてくれた岡の手腕に感動を覚えると共に、「情緒のありかは後頭葉だ」とはっきり特定してくれていることに驚きを禁じえないのである。

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