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2016.05.16up

岡潔講演録(18)


「創造の視座」

【13】 大脳側頭葉②

 それから側頭葉は大脳の中でも機械的なことを司っているのですが、その中でも最も機械的な働きは記憶です。記憶は全く機械的な働きをする。ところがこれを型紙でやろうとすると、要する型紙の数は、宇宙の電子の数をこえるという。これも記憶という働きを時間、空間のないところでやって、結果だけを側頭葉へ運んでいるんだろう、こう思える。

 大脳とは一体何という不思議なところだろう、ひとつこれを組織的に調べよう、そう思って、まず青写真をとろう、そうきめた。ここまでは心の中でやることだから、すぐできる。そうしてこれに要する経費だけを計算してみる。

 そうすると、大脳の青写真を1枚とるに要する経費は、アメリカ合衆国が1カ年に使っている経費の1千万倍、手におえないですね。これから見ても、第2の心という時間も空間もないところから、この不安定な素粒子群が時間、空間のあるところへ出てきているのだ、そう思われますね。

 大体、自然科学は、生命現象については何も知らないんです。人は見ようと思えば見える。なぜであるか、これに対して自然科学、すなわち医学は一言も答えることができない。医学がいうのは、視覚器官というものに故障があったら見えないといってるだけで、故障がなかったら、なぜ見えるかということは一言もいっていない。

 また、人は立とうと思えば立てる。このとき全身4百幾つの筋肉が同時に統一的に働くんだけども、なぜそういうことができるか、この問いに対しても、自然科学は一言も答えることができない。

(※解説13)

 次に岡があげている側頭葉の数字は、「宇宙の電子の数をこえる」と「アメリカ合衆国の経費の1千万倍」。皆さんはこの数字が想像できるだろうか。私にはいまだにピンとこないのであるが、正にこれは超々天文学的数字である。

 今から50年以上も前にこの数字は出ていたのであるが、現代の脳科学者は側頭葉が「機械の座」であることも特定できていなければ、このような天文学的数字が既に出ていることも全くご存じないのではないだろうか。

 最近、岡の本を出版することに尽力してくれて、岡には相当くわしい人に評論家の松岡正剛さんがいる。その松岡さんの解説にはこう書いてある。「岡の脳科学について言及しているところも、当時の学説に従ったせいもあるけれど、実はおもしろくない」と。

 同じく別の出版に尽力してくれて、岡の初期のものを相当読んでくれているはずの脳科学者の茂木健一郎さんも、岡の大脳生理についてはなぜか一言も言及していない。一般の脳科学者は岡の本さえ読んでいないだろうから、尚更である。

 この事実を一体、どう理解すればよいのだろうか。岡に相当詳しい人でさえこうである。一体何を読んでいるのだろうと私は言いたい。そこで私には1つのイメージが頭に浮ぶ。「曲ったものから真直ぐなものを見ると曲って見える」と。

 松岡さんも茂木さんも共に著名な知識人ではあるが、岡の大脳生理にまだこれほど不案内であるところを見ると、まだ少うし「曲ったところ」が残っているのではないだろうか。岡のものがわかるためには「知識」は要らない、「真直ぐ」でありさえすればよいのである。

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