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2015.08.13up

岡潔講演録(16)


嬰児(えいじ)に学ぶ」

【5】 孔子の仁と義

 ところで孔子の教えはどうかというと、初めに仁と義がある。それから五倫五常、礼儀三千と、こういうものができて行く。ところで、これを私、胡蘭成(こらんせい)いう日本に20年以上いる中国人に直下に聞いたんですが、日本は儒教を伝えてるのに誰もこれを知らないらしい。

 仁とか義とかいうものは、これはただ符丁であって言葉ではいえないんです。だから孔子は仁と義さえわかれば、あとは五倫五常、礼儀三千は言葉で書き口でいえる。だが仁と義はいえない。だから道徳を修めるとは仁と義を身につけることだ。それで孔子は仁義というものがある。これが人に現れては仁義となり、そして五倫五常、礼儀三千と発展する。

 自然に現れては、「四時(しいじ)行なわれ、百物(ひゃくぶつ)生ずるにあらずや」といってる。春には春の良さがあるでしょう。夏には夏の良さがあるでしょう。秋には秋の良さがあるでしょう。冬には冬の良さがあるでしょう。全く違ってるように見えて、同じ良さが現れているといえるでしょう。これが仁です。

 春は如何に懐かしくても何時までも春ではいられない、夏になる。夏は如何に恋しくても、来る時が来れば秋にならなきゃならん。秋は如何に恋しくても、季節が来れば冬にならなきゃならん。冬籠りがどんなに長くしていたくても、春めいて来れば春にならなきゃならん。こんな風に、これが義である。

 だから四季というのは仁義の現れである。これがよく現れてるから、ごらん、こうしてりゃあ植物は大きくなり動物も育つじゃないかと、こういってるという。

(※解説5)

 この「仁」と「義」を平面幾何で表現すると、「仁」は「点」であり、「義」は点と点とを結ぶ「線」であるといえる。この前提の上に複雑な幾何学が成立するようなものである。

 さて、岡は「日本は儒教を伝えてるのに誰もこれを知らないらしい」といっているが、この本場の儒教の真髄を岡に伝えたのは他ならぬ胡蘭成である。

 しかし、これより4、5年程前より岡は家が割合近いこともあって、日本の中国哲学の権威であり、当時の政界財界に多大な影響力を持っていた安岡正篤(やすおかまさひろ)と親交を結び、日本における一応の中国思想の核心については既に知識を得ていたのである。

 従って、この岡の「誰も知らないらしい」という言葉は、そうした前提のもとでの言葉であることを、我々はここで留意しておかなければならない。更にまた、これより3年後の1972年には、その「仁」の内容を岡は独自に掘り下げてこういっている。

 「仁とは何かっていったら、真情のことです。仁といわないで真情といったら、孔子以後の今までの間に人はだいぶん良くなったんだろうけど、仁なんていうものだから、何のことかわかりゃしない。日本でも儒教は形式ばかり覚えてしまって、内容については何にもわかってやしない」(葦牙(あしかび)5号・情の世界)

 ここでも岡の晩年の段階的な境地の深まりを、見てとれるのではないだろうか。日本の一般的な儒教解釈のレベルからはじまって、本場中国儒教の真髄解釈のレベル、そして「仁とは真情のことである」と心の構造に還元して把握するという、本場中国の儒教を岡は遥かに超えてしまうのである。

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