b 岡潔講演録(14):【 8】 文明の発祥地
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2015.04.23up

岡潔講演録(14)


「心そのもの、命そのもの」

【8】 文明の発祥地

 ところが、こんなやり方したら、つまり最後の氷河が溶けて洪水起った時に、中国の人達も、後にインドへ行った人達も、それに会うてひどい目に会った。それで人知が開けて文字を発明したんです。それでインドにはインドの有形の文化があり、中国には中国の有形の文化がある。

 その時、日本民族、これは1万数千年前、南洋の海でのほほんと遊んでたんです。こんなことすれば後に一度に有形文化を取り入れて、そして物質主義者になるに決ってる。だから神々がそうさせたんです。それで不思議がったんです。これは鞘を先作ってる。あなた方、もうこれ以上鞘は要りません。今度はその実感の方を使います。

(※解説8)

 以前に「歌でよみとく日本歴史」の第3部「日本歴史の概要」でご紹介したのだが、日本民族はこの地球上で30万年の歴史を持っていて、20万年位前からは古代日本民族(それまでは概して第8識の民族、その後は概して第9識の民族)、8万年前からは今の日本民族(概して第10識の民族)、そして1万年位前からはこの緑豊かな日本列島に住んでいるということである。

 こういうことは岡の1974年の発言であるが、この時代的スケールに辿りつく前の1969年には、当時出会ったばかりの中国人、胡蘭成に触発されて、12000年前に大洪水があったというイラン高原辺のアノ、スサ地域が文明の発祥地であるとの考えを岡は持つのである。胡蘭成の著書「建国新書」にはこう書いてある。

 「私は先ずアノ、スサは世界文明の本家であり、古代メソポタミア、エジプト、ペルシャ、ギリシャ、インドや日本と中国の文明は皆その分家だったことがわかった」

 岡のこのような見方はのちに少し変わってくるし、晩年になればなるほど時間的スケールが膨らんできて、この辺の時代的証合は難しいのだが、概略をいうと初め日本民族は長くチベット高原にいたのである。

 その後アノ、スサ地域のメソポタミアやエジプトや中国黄河の上流の3ヶ所に文明をひらき、その後主流がインドの沿岸を通り岡が強烈な懐かしさを感じたというシンガポールを経て南下し、南方の島々を経めぐったのち再び北上し、シンガポールから東進して中国の南部、台湾、沖縄を経て日本列島へ辿りついたということである。これが日本民族の主流だと岡のいう「黒潮民族」である。黒潮に乗って北上したからそう呼ぶのである。

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