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2015.04.23up

岡潔講演録(14)


「心そのもの、命そのもの」

【7】 騎馬民族

 そんな風で東洋人、日本人は東洋人ですから、つまり病気にかかってませんから、もとへ遡ろうと思ったら、そうでなくっても側頭葉の感覚で止まり勝ちになるでしょう。ところが中国から応神天皇の時に文字が伝わった。この時の勉強の仕方ですが、聖賢の道を書いてあった。それで上流の子弟は「これは」というんで跳びついた。

 が、その勉強の仕方ですが、これは文字に読まれたんです。何故、そんなことがわかるかというと、文字に読まれますと側頭葉教育になる。本当は頭頂葉教育であるべきでしょう。文字は指さす指であって、その彼方の天上を見よっていったら、本当にその指の指さす彼方を見れば、頭頂葉の発育を図るんだけど、ところが側頭葉の発育を図ってしまった。

 これは丁度、終戦後、新学制下に、これはもうわざわざアメリカの真似して、デューイのいうところを聞いて側頭葉教育をやったんです。そうすると暫くの間に手足が著しく伸びた、つまり身長が伸びた、びっくりする程伸びた。私、電車に座ってた。そしたら、ぐるーっと背の高いのが取り囲んだ。それで私、これは電車の天井をもっと高くしなきゃいかんと思った。それっくらい伸びた。

 当時もそうだったらしい。何故って、歴史家は騎馬民族というのがあって、満州か何におって、上流へ入ったらしいという。その証拠に塚を掘ってみると、実際、身長が急に伸びているとか。何という馬鹿な眼前にこんな例があるのに。で、その研究の結果わかりますことは、読み方が文字に読まれたという読み方を皆したということがわかる。

 歴史家だって人を惑わすだけじゃなく、それ調べてくれたものがあるから、今の大学生諸君を見りゃあいいんです。「ああ、文字に読まれたな」と。それで、この時以来、物質主義の癖がズーッと続いてる、千数百年、明治の初めまで。

(※解説7)

 岡の話は奔放自在をきわめていて、前章のロケットの話からこの騎馬民族に大きく跳ぶのであるが、その話の飛躍には不思議な連続性があり、私などはそこがたまらなくおもしろいのである。

 先ず、側頭葉教育をすれば手足が著しく伸びるとは、誠におもしろいところを見ているものである。戦後がまさにそうであるし、応神天皇の頃もそうであったというのである。こんなことは勿論、岡の大脳生理でなければとてもいえないところであるが、その着眼点には舌を巻く。

 さて、この騎馬民族説は戦後早々、東京大学の歴史学者の江上波夫が学会に論争を巻き起こしたものであって、簡単にいうと大陸から渡ってきた騎馬民族の日本征服説である。

 江上説の根拠は、発掘による客観的な物的証拠のみに頼って歴史を検証するという、今日までの考古学の主流である唯物史観からきているのだが、岡は逆にそれらの物的証拠を参考にしつつも、内面的な心の構造や大脳生理から歴史を検証しようとしているところに大きな違いがある。

 だから岡はロケットで宇宙旅行ができると何時までも夢見ている宇宙物理学者もバカだが、歴史を心の方面から内面的に見ようとしない唯物史観の歴史学者もバカだと言いたいのである。

 猶、江上説には今日の進歩的知識人が持ちつづけている「文化は全て大陸からやってくる」という、日本の有史以来の伝統的コンプレックスが潜んでいるように思えてならない。

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