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2015.04.23up

岡潔講演録(14)


「心そのもの、命そのもの」

【5】 道元との対面

 私、今から20年程前に、「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」を10数年座右に置いたんです。第1巻ですが。そして10数年経って、こう思ってた。「正法眼蔵」の扉は「心不可得(しんふかとく)」。「心不可得」というのは、心というものは段々見る目が開けて来ると、不思議なものだなーという意味です。この「心不可得」という扉を開く鍵は「生死去来(せいしきょらい)」。「生死去来」というのは、過去世が懐かしくて仕方がないという心です。そう思ってた。

 それで正座して、正座するの習慣ですから。そして「生死去来」の4字に思いを凝らしてたんです。そうすると道元禅師が衆僧と共に来て下さって、無言の説法をして下さった。以後、「正法眼蔵」に関することはすらすらと皆わかる。

 さて、そこんとこですが、どんな風にして会ったかっていうと、ある短い時間の間、私の周囲の空間が入れ替ったんです。で、私には意識の不連続が二度起こりました。で、二度目の不連続が済んで自分に帰ると、もとの通り(正座していた。)しかし、お堂の畳を踏んだ感触が足の裏にまざまざと残っていた。こんな風です。

 これはどうかっていうと、道元禅師は肉体を持ってないんです。そうすると第2の心だけになってる。第2の心には空間なんかないんです。ただ時のみがある、空間はないんです。で、空間はないんだから、つまり、空間はこの心の中にある、依存してある。だから、そこへ行こうと思ったら、もうそこへ行ってる。

 で、道元禅師、私に会おうと思ったもんだから、もう来てたもんだから、私にとってみたら二度意識の不連続を起こさされてしまったという訳。無言の説法というのは、その第2の心と第2の心とが合わさった。私も肉体持ってなきゃあ何もそんなことする必要ないんだろうけど、肉体持ってますから中心は頭頂葉にあるから、側へ来なきゃわからんていうこと。

(※解説5)

 こんなことが人生にはあるのである。もっといえば、こんなことが日本歴史にはあるのである。これが日本民族の中核中の中核の意志疎通の有様であって、岡がいう日本民族の二大天才、芭蕉と道元のうち、道元はこうして岡に日本民族の心を嗣法(しほう)したのである。

 間違えてはいけないのは、仏教を嗣法したのではない。日本民族の人間観、世界観を嗣法したのである。一方の芭蕉は道元のように岡の眼前に現れないまま、岡を陰から導いたのだと岡自身がいっている。

 次元は遥かに低く私事で誠に恐縮ではあるが、岡が没して丁度10年目の私が38才になった時、私はそれまでの岡の思想の核心を「真我への目覚め」(復刻版、日本民族の危機に収録)に追い詰めて、それを毎日くり返しくり返し読んだ。そうしたある夜、突然に目がさめ「よし、岡家へ行こう」と思ったのである。それと何だか少し似ている。

 私はあの夜、確かに岡に呼ばれたのだと思う。そうして今、こうして下手なりに岡の解説を書いているのであるが、こうすること以外に厚いベールに包まれた岡の晩年を知ってもらう方法はないからである。

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