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2015.04.23up

岡潔講演録(14)


「心そのもの、命そのもの」

【4】 西洋の慢性病

 ともかく念に2通りの、東洋と西洋がある。もう少し、ここで見ておきましょう。

 一体、この2通りの念が意になる、これはもう極めて基本的なとこでしょう、人の。どちらがノーマルで、どちらがアブノーマルか。これは幸に猿というものがある。猿をよく見てみますと、猿はくだもの食べて生きてるでしょう。だから真っ先に、「季節は」と思うでしょう。それだと雰囲気だから後頭葉。で、後ろ回りに決まっている。

 で、そんな風にして人になったんだから、後ろ回り、つまり東洋人がノーマルタイプなんです。で、西洋人の方は、これは病的だということになる。一体どうして、こんなに病的になったのかというと、これは狩猟民族的生活を長くやったから習慣がついたんだと思う。狩猟民族やってますと、「ハッ」と気づいたら運動領へ命令せにゃ仕方がない。だから前回りせざるを得ん。で、狩猟民的生活を数10万年やってる為にそうなったのだろう。

 つまり、それまで人は普通菜食がノーマルだった。それが突然ある日肉食をしょうと思った。それがもとのはず。何故、肉食をしようと思ったんだろう。これはずっと以前、単細胞からずっと来る、前に肉食だったことがあるんです。だから頭頂葉の古皮質には肉食という種が残ってる。それがある日突然芽生えたのだろう。

 こういうのを「原始帰り」といってる。で、「原始帰り」して肉食しようと思って、そっち主にして生きた為にこういう病的になった。これは病的であるというより病気です。ただ数10万年の病気、非常な慢性病だから、直さりゃしないん。それで病気のままで目覚めささなきゃあならん。それには如何にするかという研究を始めなきゃあならん。釈尊は東洋人を目覚めさせる為に仏教を説いた。西洋人を目覚めさす為には一言も説いていない。こういう事になる。

(※解説4)

 猿がくだものを食べるという、ほんのちょっとした生態をヒントにして念の経路を特定するとは、何という直観力だろう。今日の自然科学や医学の現場では、実験をくり返して統計をとるというやり方が主流だが、それとは正反対の1を聞いて10を知るという、誠に独創的な岡の手法ではないだろうか。真理をつかむには、機械物は本来要らないのである。

 さて、こういうことをいうと自称「進歩派」の人々から「差別だ」と非難されるのは目に見えているが、岡によると西洋の人々は頭頂葉の古皮質に残る「肉食」という種が発芽して、狩猟民族という「原始帰り」をした人々であるというのである。

 考えてみれば、生物は概して「突然変異」をすると皮膚から色素が抜けるのが相場である。そして西洋の人々も見たところ皮膚や髪の毛から色素が抜けているのだが、その2つの現象の間には何か共通するものがあるのではないだろうか。そして岡は、西洋の人々の皮膚から色素が抜けた「原始帰り」は、「数10万年の病気、非常な慢性病」だというのだから、その目のつけどころ、時代を見るスケールの大きさには驚かされるのである。

 「人の心の構造は万年単位でないと変わらない」 岡潔

(ちなみ)に、この「原始帰り」という言葉は民俗学の柳田国男の「神隠し」という説を、岡との対談「美へのいざない」の中で井上靖が言い替えたもので、遂にはそれが「肉食への原始帰り」という岡の独特な発想につながったのである。

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